2005年08月31日

PCゲームの誕生[その2]

 1950年代。「TACTICS」という名の、一風変わったボードゲームが誕生します。

 これは、現在でいうところのウォー・シミュレーションゲーム(以下・ウォーSLG)の原点にあたるゲームです。ウォーSLGとは、「ミニチュアの兵器をコマにした、将棋やチェスのようなゲーム」のこと。戦場を模したボードに、小さな兵器のミニチュアなどを配置し、敵軍を打ち負かすことを目的とするゲームです。

 じつは、これこそが、テレビゲームの源流のひとつです。「ユニット(兵器)の能力を数値化する(パラメータ化する)」という概念や、「ユニットが接触したら戦いになる」というルールは、ここで登場しているようです。現在のテレビゲームで、当然のように使われているルールのいくつかは、ここを起源とすると考えていいでしょう。

 ウォーSLGは、オトナこそが楽しめるボードゲームとして、じわじわと人気を高めていきました。そして、その時点での最新兵器を忠実に再現したものや、歴史上の戦争をモチーフにしたものなど、さまざまなバリエーションが作られるようになり、静かなムーブメントを起こしていくのです。



 1960年代の半ば。ウォーSLGに、大きな影響を与える社会現象が発生します。世界的ベストセラー「指輪物語」が、アメリカに上陸したのです。そこで描かれる、剣と魔法のファンタジー世界や、人間やエルフ、ホビットなどの複数の種族たちによる魅力的な物語は、アメリカの若者たちを強く刺激しました。さまざまなファンタジー物語が作られたのみならず、そのムーブメントは、ボードゲームの世界にも影響を与えることになるのです。
 
 それは、不思議な化学現象を起こしました。ファンタジー世界を舞台にしたウォーSLGが作られただけではなく、まったく新しいタイプのボードゲームを誕生させてしまったのです。ウォーSLGのように、戦争の指揮官としてコマを動かすのではなく、プレイヤー自身がファンタジー世界の登場人物になり、その世界での冒険を楽しもう! というゲームが誕生したのです。

 こうして誕生したのが、ロールプレイングゲーム――すなわちRole(=役割)をPlay(=演じる)するGame(=ゲーム)です。諸説ありますが、一般的には、1974年に発売された『Dungeons&Dragons』が、その元祖だといわれています。以降、さまざまなバリエーションのものが作られ、RPGは進化・発展を遂げていくことになります。

 当時のRPGとは、会話によって物語を進行させるゲームでした。ゲームマスターの問いかけに対し、プレイヤーが返答し、サイコロの出た目によって結果が変化し……といった手順で物語は進みます。そのため、日本ではテーブルトークRPGと呼ばれていました(欧米ではテーブルトップRPG、あるいはペンシル&ペーパーRPGと呼ばれます)。

 このゲーム、日本のゲーム愛好者にとって、かなり特殊な遊びだよなぁ、と思われがちです。わざわざ「みんなで集まる」必要がありますし、しかも「会話によって遊ぶ」といったあたりが、あまり一般的な遊びではないよなぁ、と感じさせる要因かもしれません。

 しかし、それはまったくの見当違いなのです。歴史を考えれば一目瞭然。「モノポリー」が1930年代に作られていることからもわかるように、そこには、みんなで集まって「ボードゲームを遊ぶ」という文化がありました。だからこそ、むしろ「みんなが集まったときに楽しいもの」があるといいなぁ、「そこで会話を弾むような楽しいゲーム」があるといいなぁ、という欲求があり、それに応えるようにして、ウォーSLGや、RPGは誕生しているのです。RPGが、「みんなが集まって遊ぶ」「会話によって物語が進む」というスタイルになったのは、むしろ当然の帰結なのですね。



 話を戻しましょう。じわじわと人気を高めていったRPGですが、そこには欠点もありました。RPGでは、ゲームマスターと呼ばれる人間が、他の参加者(プレイヤー)のためにシナリオを用意し、ゲームを運営・管理することになります。つまり、優れたゲームマスターさえいれば、血湧き肉踊る物語を作り出すことが可能となり、半永久的に楽しめるのですが、その反面、優れたゲームマスターがいなければ、楽しさが半減してしまうという欠点を持っていたのです。

 しかし、その欠点を補うかのように、時代は、強い追い風を吹かせました。時代は1970年代でした。すなわち、いままさに、コンピュータが一般化しつつある時代だったのです。だったら、コンピュータにゲームマスターを任せてしまえばいい! そう考える人が出てきたのです。

 こうして、ゲームセンターとはまったく違う源流を持つ、もうひとつのテレビゲームの歴史がスタートします。その第1号は、「アドベンチャー」というゲームだったといわれています。

[この項、後日に続く]
posted by 野安 at 18:26| Comment(3) | TrackBack(2) | PCゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月30日

PCゲームの誕生[その1]

 テレビゲームの歴史とは、「面白さのエッセンス」を、受け継いていく歴史です。

 なぜなら、テレビゲームは、大衆のための娯楽商品だからです。大人気になったゲームがあるということは、そのゲームが持つ「面白さ」に共感した人が多いということ。その後、さまざまなゲームが世の中に登場したとしても、そのゲームが持っていた「面白さのエッセンス」を受け継いだ作品こそが、ふたたび多くの人の共感を得ていくことになるのです。

 ゲームの作り手が、同時にゲームの遊び手であることも、忘れてはいけません。彼らは、ゲームを「面白いっ!」と感じたからこそ、「同じように面白いもの」や、「より面白いもの」を作ろうと努力します。そして、自分が体験したゲームの「面白さのエッセンス」を引き継ぎ、より改良されたものを産み出していくのです。

 これは、テレビゲームにかぎった話ではありません。大衆向けの娯楽作品全般で、まったく同じことが起きていると思われます。大衆向けの娯楽作品では、過去の名作のエッセンスを引き継ぎ、改良・進化を重ねるという歴史が、積み重ねられることになるのですね。

 このBlogで、テレビゲームの歴史を追いながら、それぞれのゲームを年代順に説明しているのは、そのためです。ゲームを単体で眺めても、そのゲームが持つ歴史的価値は見えてきません。そのゲームの前には、どんなゲームがあったのか? どの部分が受け継がれ、どの部分が進化・発展しているのか? それらを洗い出すことでこそ、テレビゲームが、どのように進化・発展してきたかが見えてくると考えているのです。



 さて。8月8日(月)から、長期にわたって、「スペース・インベーダー」から始まった大衆向けテレビゲームの歴史を、ひも解いてきました。さまざまなゲームが、「スペース・インベーダー」が持っていた「面白さのエッセンス」を引き継ぎながら、環境に合わせて改良され、そして改良された部分のエッセンスを次のゲームに引き継いでいき……という手順を踏みながら、ファミコン初期の名作「スーパーマリオブラザース」へと進化していったことを、説明してきました。

 本来ならば、このまま歴史を追いながら、その後の人気ゲームについて、年代順に説明していくべきなのかもしれません。しかし、残念なことに、それは不可能です。1980年代半ば、テレビゲームに、ひとつの事件が発生するからです。

 おおげさにいうならば、それは、まったく違う文化を持つ2つの民族の激突でした。ファミコンという大地で、2つの民族が激突し、入り乱れるようになったのです。2つの川が、ファミコンという名の平野で合流し、さらなる大河になったのだ! と考えてもいいでしょう。



 そうなのです。現在、わたしたちが見ている「テレビゲームという名の大河」は、2つの源流を持っているのです。それぞれの源流から湧き出した水が、大きな川となり、それらが合流することによって作られているのです。

 なので、「スペース・インベーダー」から始まった、ゲームセンターを起点とするテレビゲームの歴史に関する説明は、ここで、いったん止めることにしましょう。

 わたしたちは、ふたたび時代を遡り、もうひとつの源流を探す旅に出発しなくてはなりません。時代は、1970年代に遡ります。

[この項、後日に続く]
posted by 野安 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | PCゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月29日

5つめのテーマ

今週は、ふたたび時代を巻き戻します。
1970年代から、ゲームの歴史を追いかけることで

オンラインゲームが、なぜ日本では流行りにくいのか?
あるいは、なぜ日本以外では流行るのか?

という謎に挑んでいきます。


posted by 野安 at 18:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月26日

スクロールと「ご褒美」の関係[その4]

 1985年の「スーパーマリオブラザース」の登場により、スクロール型ゲームのフォーマットは、完成してしまったといってもいいでしょう。

 そこには、「死んだら終わり」という、ゲームセンターの頃のルールが残っています。しかし、同時に魅力的な世界をたっぷりと用意し、「ミスってもいいんだよ」「先を見たくないかい?」という動機を、強く与えるようにしているのです。そして、それを実現するために「一撃では死なない方法を加える」というフォーマットです。

 以降、ほぼすべてのスクロールゲーム(に限らず、広い世界が用意されているゲーム)は、このフォーマットからはみ出ることなく、作られています。アクションの形や、マップやキャラクたー形状などに違いはあっても、「スーパーマリオブラザース」が完成させたフォーマットの基本部分は、しっかりと守られていると考えていいでしょう。



 「スーパーマリオブラザース」が登場した頃から、ファミコンは一気に普及していきます。テレビゲームは、「家庭で遊ぶもの」としての比重を高めていくのです。多くの人が、ごく当たり前のように、「ゲームは家で遊ぶものだ」と考えるようになっていきます。

 だから、それに合わせるように、スクロールゲームの中身は、「死んだら終わり」というゲームセンターの頃のルールを薄めていきました。そして「ミスってもいいんだよ」という救済策を強めていきます。「スーパーマリオブラザース」以降のスクロール型ゲームの歴史は、「死ににくさ」の度合いを変化させる歴史だといってもいいほどです。



 「スーパーマリオ」シリーズの歴史を見てみましょう。基本的には「小さいマリオのとき、ミスをすると死んでしまう」というルールを遵守しつつ、シリーズを重ねるごとに、「小さくなりにくい」つまり「一撃死しにくい」ように、変化していることがわかります。

 1988年発売の「スーパーマリオブラザース3」では、アイテムをストックできるようになりました。これを使えば、いつでも「スーパーマリオ」の状態(一撃では死なない状態)でプレイできるようになりました。1990年の「スーパーマリオワールド」では、新キャラとしてヨッシーが登場。マリオがヨッシーに乗っているときは、たとえ敵に触れても「ヨッシーが逃げるだけ」というペナルティしかありません。一回のミスでは、マリオが小さくなることすら、なくなりました。

 そして1995年。「ヨッシーアイランド」では、「一撃死」という概念がなくなります。敵に触れると、背中に乗せていたベビーマリオが離れてしまう、というペナルティーがありますが、10秒以内につかまえれば、何事もなかったように元通りになります。「ミスをしても、時間内に対処すればペナルティーがない」という形になっています。10秒たっても救出できないとき、はじめて「ミスした」ことになるのです。

 こうして、「スーパーマリオ」シリーズから、ついに「一撃死」という、ゲームセンター時代の概念がなくなります。だかにこそ、「ヨッシーアイランド」は、ゲームセンター時代から守ってきた「ハイスコア表示」を、同時に消失させたのかもしれません。



 スコアとは、もとは「1up」のために存在したシステムです(8月11日の記述を参照のこと)。「一撃死」があり、いつ死ぬかわからないという緊張感があるからこそ、上手い人には「1up」という「ご褒美」が与えられていたのですね。ならば「一撃死」がなくなった時点で、スコアは消えていくのは、当然の流れなのです。

 もっとも、「スーパーマリオ」シリーズは、「一撃死しにくい」ように作れていたゲーム。だからスコアを稼ぐのではなく、別の形での「1up」が用意されていました。たとえば1upキノコがありました。アイテムを取るだけでキャラクターが増える、という形になっていました。コインを100枚集めても1up。8連続で敵を攻撃しても1upです。スコアとは関係ないところで、「マリオが増えていく喜び」を与えるように、最初から作られていたゲームだったのです。



 じわじわと変化を見せていた「スーパーマリオ」シリーズが、さらに大きな変化を見せたのは、1997年の「スーパーマリオ64」から。スクロール型ゲームから離れ、世界は3Dになりました。そして同時に、マリオの「死ににくさ」も格段に上がりました。ライフに8つの目盛りがあり、たとえミスしても、目盛りがゼロになるまでは死なない、というルールに変更されました。

 これは、RPGでいうところのHPと同じです。ゲームセンターで生まれたシステムの残滓を残してきた「スーパーマリオ」シリーズが、ついにRPG的なルールと合流したのですね。これが、どのような流れの結果として合流するにいたったのか……という話もしたいのですが、ここでは説明しきれそうにありません。それはまた、別の機会に。
 
[この項、終わり]
posted by 野安 at 18:24| Comment(4) | TrackBack(0) | スクロール型ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月25日

スクロールと「ご褒美」の関係[その3]

 キノコを取ると、スーパーマリオになれる!

 文字にすると、わずか20文字ほど。しかし、この世に誕生したテレビゲームに採用されたルールの中で、後続にもっとも影響を与えたものは何か? を突き詰めていくと、この一文に到達せざるをえません。1985年に登場した「スーパーマリオブラザース」が、全世界を席巻するモンスターヒットを記録したのも、このルールにあると断言していいでしょう。



 「スーパーマリオブラザース」は、かつてない魅力的な世界を用意したゲームでした。そこには、どこまでも続くかのような広い世界がありました。ブロックの組み合わせによる多彩な地形がありました。個性的な敵も配置されました。世界は多彩で、青い空が広がる大地があるかと思えば、薄暗い地下もあり、さらには水中を進むステージもありました。それらの魅力的なステージが、合計で32も用意されました。それは従来のゲームと比較すると、ケタ違いの広さでした。

 これほどに魅力的な世界を用意されては、わたしたちは、「先を見たいぜ!」と思わずにはいられませんでした。なにしろ操作はシンプルで、走ったりジャンプしながら右端に到達すればクリアという単純明快なルールだったのです。スクロールは自分の意思で行えますし、Bボタンを押して走ることも可能でした。

 さらには、「スター」を取れば無敵になれて、ぐいぐいと右へ進む気持ちよさが体験できました。「ファイアマリオ」になれば、邪魔な敵をなぎ倒しながら快適に進むこともできました。あらゆる要素が、「どんどん右へ進もうよ! それって気持ちいいよ!」と囁くかのように設計されていたのです。その囁きに促されるように、わたしたちは、その広い世界を心から堪能したくなりました。右へ右へと急ぎたくなる欲求を、止められなくなっていったのです。

 この欲求に従ってプレーできるよう、「スーパーマリオブラザース」は、かつてない斬新なルールを設定したことを、ここで強調しておきましょう。それが、冒頭で説明した「キノコを取ると、スーパーマリオになれる!」というルールです。



 このルールが、従来のテレビゲームをプレイするときに持っていた「死んだら終わりだぞ! だから慎重にプレイしなくては」という縛りから、わたしたちを一気に開放したのです! キノコを取ればスーパーマリオになります。こうなると、敵に触れても小さくなるだけですむ。つまり「ミスしても死なない」ということになったのです!

 わたしたちは、もはや死を恐れながら、慎重にプレイする必要がなくなりました。心のおもむくままに、「先を見たい」という欲求を最優先できるようになりました。魅力的な世界を満喫しつつ、「どんどん先へ進む」楽しさを味わえるようになりました。わたしたちが、いまでも、「スーパーマリオブラザース」の世界を駆け抜けたときの、心から楽しんだ記憶を持っているのは、そのためなのです。

 これは、テレビゲームの歴史を変えました。それまでのテレビゲームは、「死んだら終わり」だったゆえに、「死にたくない、という緊張感に耐えられる人だけが楽しめる娯楽」だったのです。それが、「無茶してもいいんだよ」「ミスしてもいいんだよ」「緊張しないでプレイしても、ステキなご褒美があるよ」という娯楽へと進化しました。これこそが、テレビゲームを老若男女が楽しめる、大衆的な娯楽へと押し上げた要因のひとつといっていいでしょう。以降、テレビゲームが飛躍的な普及を実現するのは、みなさんがご存知の通りです。



 補足しておきましょう。ミスしても死なないのであれば、ゲームは成立しません。だから小さいマリオのときは、ミスしたら終わり、という従来どおりのルールが設定され、ゲームセンターのゲームのような緊張感が用意されました。それにより、ゲームセンターのゲームに慣れていた人たちが違和感なくプレーできたことも、「スーパーマリオブラザース」のヒットの要因であったことも、忘れてはいけません。

 極論するならば、「スーパーマリオブラザース」とは、キノコを取ることで、マリオが大きくなったり小さくなったりするゲームだ! といっていいのです。そのたびに、家庭用ゲームならではの「無茶をしてもいい」という感情と、ゲームセンター時代の「慎重にプレイすべきだ」という感情が切り替わる。こうして、2種類の感情を同時に満足させるゲームになっていたことが、「スーパーマリオブラザース」の凄さなのです。

 もろん、このような仕掛けを持つゲームは、これが史上初でしょう。「スーパーマリオブラザース」は、テレビゲームをプレイする場所が、ゲームセンターから家庭へと移行する時期にこそ必要とされた、奇跡のようなゲームだったのです。

[この項、後日に続く]
posted by 野安 at 21:58| Comment(0) | TrackBack(0) | スクロール型ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月24日

スクロールと「ご褒美」の関係[その2]

 1980年代中盤。テレビゲームの画面はスクロールするようになりました。

 これにより、テレビゲームの歴史は、大きな転換点を迎えます。もはや、ひとつの固定された画面の中で、エンタテインメントを完結させる必要はありません。ゲームの中の世界は一気に広くなり、画面がスクロールすることによって、次々に新しい世界を見せられるようになりました。わたしたちは、次々に登場するしい画面を見たい! と強く願いながらゲームに向かうようになったのです。

 この歴史的転換点と時期を合わせるように、テレビゲームをめぐる環境は、劇的に変化しています。1983年。ついにファミリー・コンピュータが世の中に登場するのです! それは瞬く間に日本中に普及し、さらには世界を席巻するマシンへと成長しました。ゲームセンターで遊ぶものだったテレビゲームは、あっという間に、家庭で遊べる娯楽へと変化したのです。



 テレビゲームが家庭に飛び込んできたことにより、テレビゲームの中身は、根本的な変化を求められるようになりました。ゲームセンターと家庭用ゲーム機では、課金システムが、まるで違うからです。

 ゲームセンターでは、わたしたちは、プレイの前にお金を払っていました。事前に「ゲームを楽しむ権利」を購入していたのです。だからこそ「なるべく長く遊びたい」と強く願い、「次の面に進める」「残機が増える」ことを喜びました。それらは「より長く遊べる権利を獲得すること」とイコールであり、つまり「ご褒美」として機能していたのです。

 しかし、テレビゲームが家庭で遊べるのであれば、話はガラリと変わってきます。わたしたちは、先にソフトを購入しています。つまり「飽きるまでゲームを遊びつくす権利」を、事前に購入しているのです。1プレイごとにお金を払う必要はなく、ゲームオーバーになっても新たな出費は要りません。これにより「より長くゲームを遊ぶ権利を獲得すること」は、もはや「ご褒美」として機能しなくなるのです。

 それだけではありません。当時のゲームセンターのゲームには「一撃死」がありました。そこでは、敵にやられると死んでしまう(あるいは自機が爆発してしまう)、というルールが守られ続けていました。「やられたら、その瞬間にすべてが終わる」という緊張感があるからこそ、「ゲームを続ける権利を得る」ことが、より輝かしい「ご褒美」として機能していたわけですね。

 家庭用ゲーム機では、「一撃死」は価値を失います。「より長くゲームを続ける権利」が「ご褒美」として機能しないのですから、それを輝かしいものにするためのルールが邪魔になるのは当然のこと。こうして「一撃死」を必要とせず、もちろん「次の面に進める」「残機が増える」などの「ご褒美」にも頼らない、家庭用ゲーム機ならではのゲームが必要とされたのです。



 この難問は、どうやって解決されたのでしょう? 詳しくは後述しますが、これはスクロール型ゲームによって、あざやかに解決したのだ! と覚えておいてください。

 「スクロール型ゲームの登場」と「家庭用ゲーム機の登場」が、ドンピシャのタイミングで重なったことは、テレビゲームの歴史における最大の奇跡だったのかもしれません。そして、この奇跡は、とてつもない怪物ソフトを産み落とします。それが、家庭用ゲーム機のための娯楽としてチューンナップされた初の大作ゲームにして、世界最大のヒットゲーム「スーパーマリオブラザース」です。その登場は、1985年9月13日のことでした。

[この項、後日に続く]
posted by 野安 at 15:24| Comment(2) | TrackBack(0) | スクロール型ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月23日

スクロールと「ご褒美」の関係[その1]

 1980年代中盤。コンピュータの性能が上がり、テレビゲームは革命的な進化を遂げることになります。

 それを象徴するのが、1983年に登場した「ゼビウス」でしょう。画面がスクロールしていくシューティングゲームです。そこには森があり、道があり、川が流れています。ナスカの地上絵を思わせるような、美しい光景もあります。シンプルながらスタイリッシュな外観の敵キャラも出現します。まだ見たことのない、しかし見るだけでワクワクするような世界が、次々とゲームの中に現れるようになりました。

 それは、黒一色の単調な背景を「宇宙」と見なして、そこで敵を撃つという従来のゲームをプレイしているときとは、まるで違う感情を、わたしたちに与えました。わたしたちは「ゼビウス」で描かれる美しい風景に目を見張り、そして「この先には、何があるのだろう?」と心躍らせながら、このゲームに夢中になっていったのです。

 貴方が、古くからのゲームファンであるならば、「ゼビウス」をプレイしていたときのことを、ぜひ思い出してみてください。どんなシーンが印象に残っていますか? それは「敵を撃ったぜ!」という瞬間などではないはずです。むしろ、ただ「どんどん広がっていく世界の中を進んでいく」ときの光景などが、脳裏をよぎったのではありませんか? あの美しい世界の中でプレイしていた光景そのものを、「気持ちのいい記憶」として思い出したのではありませんか?

 なぜ、敵を撃った瞬間ではなく、「美しい風景の中でプレイしていたこと」を思い出してしまうのでしょうか? 答は明白です。当時から、そちらを「気持ちいい」と感じていたからなのです。「ゼビウス」とは、つまり、そういうゲームだったということです。

(注:中ボスを倒したときのシーンを覚えている人もいるでしょう。あれは「スペース・インベーダー」と同じく、倒さなければ、こちらが倒される、という従来型のゲームの構造になっているため、強く印象に残ってしまうのですね)



 「スペース・インベーダー」や「パックマン」などの従来のゲームは、面クリアをしなければ、ゲームを続けられないようになっていました。多くの場合、クリア条件は「敵を全滅させろ!」というものだったため、わたしたちは「敵を全滅させる」ことを目指し、ゲームに没頭したのです。「全滅」を「気持ちいい」ものと感じたり、全滅に至る過程(つまり、敵を撃つこと)を「気持ちいい」と感じた理由のひとつが、ここにあります。

 しかし「ゼビウス」は違いました。画面がスクロールするため、ただゲームをプレイしているだけで、「新しい風景を見る」という「ご褒美」が得られるからです! わたしたちは、「ただゲームをプレイしているだけ」で、どんどん「ご褒美」を得ていたのです! わたしたちが、「敵を撃ったこと」よりも、「ただゲームをプレイしていること=美しい光景の中でプレイしていたこと」を強く記憶しているのは、そのためなのです。



 こうして「ゼビウス」は、テレビゲームの快楽発生構造に、新しい可能性を提示しました。

 「成功」することにより「ご褒美」が得られる。これがテレビゲームが持つ、普遍的な快楽発生構造です。そして、「ゼビウス」の登場により、「美しい光景を見られること」が、新しい形の「ご褒美」として加わることになりました。以降、わたしたちは、「美しい光景を見たい」という動機で、ゲームに没頭するようになったのです。これが「画面がスクロールするゲーム」がもたらした、最大の意義でしょう。

 このようなゲームでは、もはや敵を「全滅」させる必要はありません。クリア条件を満たす必要すらありません。そのような条件がなくとも、ゲームオーバーにならなければ、延々と「ご褒美」が与えられる、というゲームが成立することが判明したからです。このようなゲームを実現したことが、テレビゲームの歴史における、「ゼビウス」の最大の価値といってもいいでしょう。

 そして、この新しい形の「ご褒美」を獲得したことが、テレビゲームにさらなる進化を促していくのです。

[この項、後日に続く]
posted by 野安 at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | スクロール型ゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月22日

4つめのテーマ

ブログ開始から、ここまで読んでいただいた人には一目瞭然なのですが、
つまり、ここは年代順にゲームの歴史を追っているブログなのです。

今週は「画面がスクロールするゲーム」の話です。
やっと、およそ20年前まで到達しました。

いままでのように「謎」を提示するとするならば、
マリオは、なぜ“スーパー”マリオになったのか?
という謎に迫ります。


posted by 野安 at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月19日

固定画面ゲームの進化[その4]

 1980年の「パックマン」を経て、ゲーム愛好者たちは「凄いシーンを見たい」「凄いシーンを見せ付けたい」と願うようになりました。

 その結果、ゲーム愛好者たちは、それまで脈々と続いていた「敵を全滅させる=面クリア」というルールを、やや古臭く感じるようになりました。「スペース・インベーダー」は、55発撃たなければクリアできませんし、「パックマン」は迷路をすべて移動しないとクリアできません。上手いプレイヤーでも、面クリアに最低限の時間がかかります。これは「より早く先を見たい!」という心理と相容れなかったのです。

 テレビゲームは、「全滅」にかわる、新しい形の「成功=面クリア」の方法を求められることになりました。「まだ見ぬシーンを見たい」という欲求を叶えるための、「上手くなるほど、より早くクリアできる」というルールが必要となったのです。

 こうして、「ゴールに到達すると面クリア」というゲームが登場します。その代表は1981年製作の「ドンキーコング」でしょうか。敵を全滅させる必要はない。敵からは逃げればいい。そしてゴールまで到達すれば面クリア! というゲームです。1〜4面まで、まったく違う形状の面が用意され、「どんどん新しいシーンが見られて、嬉しい!」という感情を与えるゲームでもありました。上手い人は、猛スピードでクリアするという「神業のようなプレイ」が可能で、どんどん先の面を見られるようになっていました。

 ゲーム愛好者たちは、この新しい形の「成功」を受け入れました。これにより、「上手い人が、より早くクリアできる」という時代が到来します。以降、ゴールを目指すゲームが固定画面ゲームの主流になり、「全滅」を目指すゲームは、ゆっくりと下火になっていくのです。




 その後、「全滅」を目指すゲームは、完全に消え去ったのでしょうか?

 いいえ。「閉ざされた空間」の中で「敵を全滅させる」という楽しさは、いまなおゲームの中に生き残っています。いたるところで目撃できます。たとえば、シューティングゲームやアクションゲームなどで、ボス戦になると「固定画面」になるのは、その名残りといっていい。「画面が固定される」=「その場から出られなくなる」という環境を用意することで、「死にたくなければ、全滅させろ!」という、ゲームセンターの時代のルールを復活させています。

 RPGもそう。多くの国産RPGでは、戦闘に入ると画面が切り替わり、逃げ場のないシーンが用意されます。そして敵を「全滅」させると、経験値やアイテムなどの「ご褒美」が得られるようになっています。これを何度も繰り返すことで、プレイヤーを楽しませているのです。(固定画面においては、全滅させることこそが「成功」であり「気持ちいい」ことなので、全滅させずに逃げた場合、経験値などの「ご褒美」は得られないことが多いのです)

 閉じ込められると、全滅させたくなる。
 全滅させると、気持ちいいと感じる。

 ゲームセンターの頃に発見された面白さは、それから20年以上たった今も、テレビゲームの中に息づいてます。これは、どれだけゲーム機が進化しても、延々と生き残り続けるでしょう。



 さて。固定画面ゲームの進化の歴史は終わっても、もちろんテレビゲームの歴史は終わりません。「より早く先を見たい!」という動機をかなえるため、「ゴールを目指す」という新しい形の「ご褒美」を発見したテレビゲームは、それを軸にして、次なる進化をスタートさせます。

 テレビゲームは、ついに固定画面を捨て、画面がスクロールする時代へと突入します。これにより、テレビゲームは劇的な変化を遂げることになるのですが、それはまた、別の機会に。

[この項、終わり]
posted by 野安 at 21:35| Comment(5) | TrackBack(0) | 固定画面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月18日

固定画面ゲームの進化[その3]

 「パックマン」には、現在でも使用されている、2つの新しい「ご褒美」の形が提示されています。

 ひとつは「パックマン」を面クリアしたときに登場する、ミニコントのようなデモ画面です。ゲーム愛好者たちは、このデモ画面を見て、喜びました。それは単純に楽しいものであったし、それ以上、自分が面クリアしたことを祝福されたような気分になれたからです。耳に残る音楽とともにデモ画面が始まると、ゲームの周囲にいた人たちから、「お、○面をクリアしたのか」という眼差しを向けられることもありました。それもまた、嬉しさを増幅させました。

 これこそが、「パックマン」が初めて採用し、以降のテレビゲームで普遍的に使用されるようになった、新しい形の「ご褒美」です。プレイヤーが「成功」して、「気持ちいい」と感じたときに、そのドンピシャのタイミングで「おめでとう!」という気持ちを感じさせるデモ画面を用意する、という手法ですね。

 脱衣マージャンで勝利したときに女性キャラが服を脱ぐのも、RPGの戦闘が終わったときファンファーレ(のようなSE)が流れるのも、基本的には同じことです。それらは、すべて「成功」に対する「ご褒美」なのですね。「気持ちいい」と感じる瞬間に「ご褒美」があると、わたしたちは嬉しく感じるのです。

 「パックマン」は、こういった形の「ご褒美」を用意した初のゲームでした。だからこそ、わたしたちは「パックマン」をプレイするとき、「先の面を見たい!」という気持ちを、より強く持つようになったのです。そして、ハイスコアを出した人も凄いけれど、スコアは低くても、先の面まで到達できた人も凄いよ! と思うようになっていったのです。




 「パックマン」が提示した、もうひとつ「ご褒美」は、さらに斬新なものでした。

 「パックマン」は、迷路を移動するゲームです。その最大の攻略法は、「より正しい手順でパックマンを移動させること」に尽きます。いったん、ミスせずにクリアできる手順を知ってしまえば、その手順を踏襲するだけで、ミスすることなく、どんどん先の面へ進めるようになっているからです。

 どうやって正しい手順を知ればいいのでしょう? カンタンです。より上手い人のプレーを見ればいいのですね。上手い人のプレーぶりを見て、その手順を覚えるこそことが、「パックマン」の最大の攻略法でした。「パックマン」とは、「上手くなりたいのなら、他人のプレーを見るべし!」というゲームなのですね。

 そこで、ボーナスフルーツが大きな意味を持つことになりました。

 「パックマン」では、画面の中央に、チェリーやオレンジ、リンゴなどのフルーツが登場します。このため、他人がプレイしているゲーム画面を覗き込んだとき、「あ、リンゴが出てるってことは、8〜9面まで来てるんだ」と、一発で理解できます。「8〜9面は、このような手順で移動すればいいのか」と学習できるのです。「スペース・インベーダー」をプレイしているのを見ても、それが何面なのか瞬間的にわからないことと比較すると、これは大きな変化でした。

 プレーしている側にしてみると、「ほら、オレはもう○○のフルーツを出す面にいるんだぞ!」と、心の中で自慢しながらプレーできる、ということです。これまでのゲームでは、上手い人がいても、「○○点をとった」という形で、ゲームの結果だけしか評価されませんでしたが、「パックマン」は違うのです。「パックマン」は、「プレー」そのものを、リアルタイムで注目したくなるゲームなのですね。

 このことが、新しい「ご褒美」を生み出しました。

 だって、そうでしょう? 上手い人の周囲には、どんどん人が集まるのです。難しい面をクリアしたときなどには、「おぉっ!」というどよめきが周囲から聞こえるのです。つまり「パックマン」というゲームは、いいプレーをすればするほど、「他人からの賞賛」という「ご褒美」を得られるゲームだということです!

 このように、「周囲からの賞賛」という「ご褒美」を得られるゲームは、ゲームの歴史上、たぶん「パックマン」が初めてでしょう。これにより、テレビゲームは、「プレー」するだけのものでなく、「見る」「見られる」「見せ付ける」ことを楽しめる娯楽へと、大きくジャンプアップすることになったのです。その歴史的意義は、とてつもなく大きいと思います。




「ゲームは、ひとりで没頭する孤独な遊びだ」

 という悪口が、1980年代に、よく聞かれました。たしかに「スペース・インベーダー」が大ブームだったときの資料写真などを見ると、整然と並んだゲーム機1台につき1人ずつ、ゲーム愛好者たちが没頭している姿を確認できます。なるほど、たしかに孤独な遊びに見えます。

 しかし、現在のゲームセンターに行くと、そこに巨大なスクリーンが用意されているのは珍しくありません。そこで他人のプレイ画面を眺めることが可能です。つまり「上手い人のプレーを眺める」という楽しみ方が、ごく当たり前のように根付いているのです(上手い人にとっては、「自分のプレーを見せる」という喜びがあるわけですね)。テレビゲームは「遊ぶ」だけのものではなく、「見る」「見るれる」「見せ付ける」ものになっていることの、何よりの証明でしょう。

 その変化の契機となったのが「パックマン」なのです。「パックマン」が持つ最大の歴史的価値は、ここにあるといってもいい。

 「パックマン」以降、ゲーム愛好者の中には、より「凄いシーンを見たい」「凄いシーンを見せ付けたい」という心理が高まっていきました。そして、この心理が、テレビゲームに次なる進化を促していくのです。

[この項、後日に続く]
posted by 野安 at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 固定画面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月17日

固定画面ゲームの進化[その2]

 1980年に登場した「パックマン」は、瞬く間にゲーム愛好者たちの心をつかみました。

 黒を基調としたゲームが多かった中、突如登場したカラフルな画面。シンプルながら、愛着を感じずにはいられない魅力的な主人公。4色に色分けされ、それぞれ行動パターンの違う敵キャラクター。そこで展開する、1対4の「おにごっこ」を思わせるスリリングなアクション。そして迷路の散らばっている無数のドット(点)を食べていき、食べつくすと面クリア! という単純きわまりないルール。それらの、あるゆる楽しさを、すべて「移動する」というひとつのアクションで実行できるという単純明快さも素晴らしい点でした。「パックマン」は日本のみならず、世界中のゲーム愛好者を熱狂させました。ゲームセンター時代のゲームとして、これをナンバーワンに挙げる人も少なくありません。

 しかし「パックマン」は、世界的大ヒットゲームである「スペース・インベーダー」の基本構造を、きわめて忠実に踏襲したゲームであることは、けして忘れてはいけません。「撃つ」と「食べる」の違いはありますが、どちらも「障害物を全滅させると、気持ちいいぜ!」という部分を刺激するゲームだからです。

1:敵を全滅させると面クリアとなる
2:クリアに関係ないけれど、高得点を取る方法がある

 これが「スペース・インベーダー」の基本構造でした。「パックマン」では、全滅させるべきものとして「敵」が「ドット」に置き換えられ、クリアに関係ないけれどスコアを稼げるものとして、「UFO」が「フルーツ」に置き換えられていることがわかります。だから「スペース・インベーダー」と同様に、より早い面クリアを目指してもいいし、得点を稼ぐことに力を入れてもよくなり、そのバランスをプレイヤー各自で調整できるようになり、プレイヤーに飽きられにくくなっていました。過去の大傑作ゲームの基本構造を受け継ぎつつ、その上に「食べる」「逃げる」などのアイディアを足したからこそ、「パックマン」は世界中で愛されたといっても過言ではありません。



 基本構造を踏襲したからといって、「パックマン」は「スペース・インベーダー」をパクったのだ! と言っているわけではありません。それを言い出したら、すべてのテレビゲームは「スペース・インベーダー」のバクりになってしまいます。なにしろゲームの基本構造そのものは、現在でも、ほとんど変化していません。あらゆるテレビゲームは、その要素を細かく分解していけば、「成功」と「ご褒美」の組み合わせによって、プレイヤーに楽しさを与えているからです。

1:プレイヤーが、「成功したぜ!」と感じる
2:プレイヤーは、そのことが「気持ちいい!」
3:プレイヤーに、そのとき「ご褒美」が与えられる

 テレビゲームは、すべて「スペース・インベーダー」の頃に作られた、このフォーマットに則って作られています。いや、むしろ逆かもしれません。このフォーマットに則っている娯楽のことをテレビゲームというのです。あとは、どのような形での「成功」を用意するのか、どのような「ご褒美」を与えるのか、そのバリエーションおよび組み合わせによって、新作ゲームは作られています。「スペース・インベーダー」以降のテレビゲームの歴史とは、「成功」と「ご褒美」のバリエーションを、いかに増やしていくかを競う歴史なのだ! と断言してもいいでしょう。

 さて。「スペース・インベーダー」と「バックマン」は、その基本構造が同一であることを説明しましたが、100%まったく同じだったかというと、じつは、ちょっとだけ違うところがありました。細部に目を向けると、「パックマン」の中には、「成功」と「ご褒美」のバリエーションを増やすための萌芽が、静かに誕生していることが発見できるのです。

 それが、ボーナスフルーツです。
 さらに、面クリアしたときに表示されるデモ画面です。

 この2つが、テレビゲームに、新しい形の「成功」と「ご褒美」をもたらすことになります。そして、テレビゲームの新しい扉が開いていくのです。

[この項、後日に続く]
posted by 野安 at 18:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 固定画面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月16日

固定画面ゲームの進化[その1]

 1978年に作られた「スペース・インベーダー」の大ヒットを受けて、日本はテレビゲーム大国へと歩みだします。さまざまなヒットゲームが登場し、ゲームセンターを賑やかせるようになりました。

 「スペース・インベーダー」の直接的な後継ゲームは、翌1979年に作られた「ギャラクシアン」でしょう。「画面上の敵を撃つ」という基本部分を踏襲しつつ、敵の動きを複雑化させ、「スペース・インベーダー」に飽き足らなくなった腕自慢たちに愛されるゲームとなりました。

 ひとつのヒット作が作られると、それを複雑化させるゲームが登場する、という流れは、ここから始まります。より難しいゲームを求める腕自慢たちの期待に応えるため、より複雑化・高速化したゲームが作られるようになるのです。一度ゲーム愛好者になった人たちを、手放さないための正しい対応といえましょう。21世紀になった今も、同じような対応が、延々と続けられています。


 そんな中、違う発想で作られたジャンルも登場しました。


 古典的ゲームを分析してみると、その多くが「全滅」を目的としていることがわかります。「ブロック崩し」は、画面上のブロックをすべて消去していくゲームですし、「スペースインベーダー」はインベーダーを全滅させるゲームです。

 ゲームセンターの時代には、そのようなゲームが強く愛され、ヒットしていたのです。ゲーム愛好者たちは「全滅させる=画面上をスッキリさせる」ことを、気持ちいい、と感じていたことがわかります。

 これは、ジグゾーパズルを埋めたくなるのと似た心理かもしれません。数ピースが空いているジグゾーパズルは、なんとなく気持ち悪いのです。キッチリと埋めたくなる。そうして枠の中の絵を完成させることを、わたしたちは気持ちよく感じます。ゴミが散らばっている部屋を、ピカピカに片付けると、ちょっと気持ちいいし、お皿の上にある料理をたいらげると、ちょっと気持ちいいのも、同じ心理かもしれません。わたしたちは、目の前をキレイにすることを、気持ちいいと感じるのです。

 しかも、テレビゲームにおいては、敵を「全滅」させれば、次の面がスタートします。つまり「全滅」させることは、「より長くゲームを続ける権利を得る」というご褒美と直結しています。この相乗効果により、ゲーム愛好者たちは、画面にないの敵(や障害物)を「全滅」させることを、気持ちいいと感じていたのでしょう。
 
 そこで、テレビゲーム界では、「全滅」させるためのバリエーションを増やす競争をスタートさせます。

 「ブロック崩し」は、ボールを「当てる」ことによって、敵を全滅させていました。「スペース・インベーダー」は、「撃つ」ことによって、敵を全滅させていました。しかし、そもそも「当てる」とか「撃つ」といいうのは、遠くに離れた敵(などの障害物)を消しているわけですから、やや間接的な「全滅手法」といえます。じつのところ、あまり直感的でアクションではありません。

 もっともっと、違う全滅手法はないだろうか? より直接的な「全滅手法」はないだろうか? 直感的に、どんどん邪魔なモノを消していく、というゲームは作れないだろうか?

 それは、すぐに作られました。

 こうして「ドットイート」というジャンルが登場します。画面上にあるドットを、自らが踏む(あるいは食べる、取る)ことによって全滅させていくゲームです。これ異常ない、きわめて直感的な全滅手法が誕生しました。

 元祖となるのは「ヘッドオン」(セガ)あたりでしょうか。そしてその後、ドットイートというジャンルは世界を席巻することになります。1980年、はやくもドットイートゲームの頂点が登場してしまうからです。

 それが「パックマン」です。
posted by 野安 at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 固定画面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月15日

3回目のテーマ

 RPGをプレイしていて、戦闘に勝利すると、経験値がもらえます。
 戦闘せずに「逃げる」を選ぶと、経験値はもらえません。

 では、4体のモンスターが出現したので戦ってみて、2体を倒したところでピンチになったので「逃げる」ことにすると、どうなるでしょう?
 このときも、経験値はもらえないのですね。

 よく考えると、ちょっと不思議です。
 モンスターを倒したのだから、倒した分の経験値をもらってもいいような気もします。

 でも、「モンスターを倒しているのに、経験値をもらえていない」ことに対し、わたしたちが疑問を感じていません。
 なぜ、わたしたちは、それを「不思議だ」と感じないのでしょう?

 3つめのテーマでは、この謎に挑みます。
posted by 野安 at 15:08| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月12日

ハイスコア表示は、なぜ消えたのか[その4]

 「全滅させる」と「スコアを稼ぐ」。

 「スペース・インベーダー」には、2つの「成功」の形がありました。どちらを選んでも、「プレイ時間が長くなる」というご褒美が用意されていました。

 この2つの「成功」を、同時に目指すことはできません。一定の時間がたつとインベーダーが最下段に下りてきて、ゲームオーバーになるからです。タイムリミットがあるため、どちらかを優先せざるを得ないのです。

 そこで、UFOという存在が、大きな意味を持ってきます。

 画面上部を左右に移動するだけの存在であるUFOは、撃ち落とす必要はありません。面クリアを目指すにあたり、無視してもいい存在です。「スペース・インベーダー」の面クリアに必要なのは、5匹×11列のインベーダーを全滅させること。インベーダーを倒したときの得点は、10点、20点、30点の3種類で、全滅させて990点を獲得すれば面クリアが可能です。

 しかし、よりスコアを稼ぎたいのなら、UFOを撃ったほうがいい。「全滅」という「成功」を最優先させるのではなく、「全滅させることとは無関係」な、しかし「得点を稼げる存在であるUFOを撃つ」ことに、力を入れたほうがいいのです。

 UFOの得点は一定ではありません。撃った弾数によって変化します。たしか23発目で打ち落とすと300点という高得点だったはず。ただ撃つだけでなく、「どのように撃つ」かを考えることにより、スコアが変化するようになっていました。



 これらの要素があることにより、わたしたちは、「どのようにプレイするか」を選べるようになりました。ゲームが上手くないうちは、インベーダーを倒すことを優先すればいい。それが「ゲームを継続させる」ための最善手だからです。しかし上手くなってきて、余裕が出てきたらUFOを狙えばいい。より早く、砲台を増やすという「成功」を獲得できるからです。さらに上手くなったら、テクニックを使ってUFOを撃ち、さらに高得点を目指すことも可能でした。

 2つの「成功」が設定されていることにより、プレイヤーの技術(やゲームへの慣れ)によって、ゲームをプレイするときの目標を、各自で調整できるようになったのです。



 もしスコア表示が存在しなかったとしましょう。あるいは存在していたとしても、スコアによって砲台が増えるのではなく、たとえば「2面のインベーダーを全滅させたら、砲台が増える」というルールが設定されていたとしましょう。そうだったとしたら、このようなプレーの幅は生まれません。全員が、ただインベーダーを効率的に倒すことだけを考えたはずです。

 これは、与えられた環境を維持し、ただルーチンワークを続けるという、「ブロック崩し」と同じゲームになります。そこには「インベーダーを全滅させる」という、1種類の「成功」しか存在しないことになるからです。



 しかし「スペース・インベーダー」は2つの「成功」を用意しました。だからプレイ方法に幅が生まれることになったのです。自分の技術にあわせたプレイ方法を選べるようになったのです。初めてプレイした人はインベーダーの全滅に注力し、慣れてくるとUFOを倒すことにも力を入れるようになり……と、プレイするたびに自分自信が「自分に合った難易度のプレイ方法」を目指せる娯楽になったのです。だからこそ、上手くなっても飽きることなく、わたしたちはプレイ没頭してしまったのです。


 プレイヤーが、自分に合わせたプレイ目標を立てられる。それを可能にした初のテレビゲームが、「スペース・インベーダー」なのです。その事実こそが、「スペース・インベーダー」が持つ最大の歴史的価値といっていいでしょう。


 以降のテレビゲームは、いろいろな形での「成功」の形を用意しました。「ドットを消す」ことを成功と位置づけるゲームもありました。「アイテムを集めると面クリア」というゲームもありました。他にも、いろいろなものが登場しています。

 しかし、それらのゲームでは、特定のスコアになったとき、砲台(残機)を増やす、という形での「成功」も用意されていました。必ず、2つめの「成功」の形を用意したのです(そして同時に、クリアには関係なく高得点を取るボーナスも用意されました)。これにより、「スペース・インベーダー」以降のゲームは、「初心者から上級者まで、あるていどの幅をもったプレイヤーが遊べる娯楽」になり、長い期間にわたって楽しめる娯楽として、多くの人に愛されるようになったのです。

 ハイスコア表示とは、なんだったのか? それは、この「2つめの成功」を成立させるために存在したシステムだった、といっても過言ではありません。



 いずれゲームセンターの時代が終わり、家庭用ゲーム機の時代がやってきます。ゲームをめぐる環境は、大きく変化しました。プレイのたびにお金を払うのではないのですから、たとえゲームオーバーになっても、すぐにゲームを再開できます。

 「より長くゲームをプレイする」ことは、「ご褒美」ではなくなりました。同時に「スコアによって残機が増える」ことも、「成功」として位置づけられなくなりました。これにより、スコア表示のないゲームが増えていくことになります。ハイスコア表示があるゲームが、どんどん減っていったのは、そのためです。

 現在のゲームに、ハイスコア表示がないものが多い理由は、ここにあるのです。



 とはいえ。
 しかし、いまなおハイスコア表示が意味を持つゲームも存在します。家庭用ゲームでも、そのようなゲームは存在します。なぜ、ここにはハイスコア表示が残っているのか? ハイスコアが存在することを楽しんでいる人がいるのでしょう?

 じつは、これを説明するには、ちょっとスペースが足りません。いずれまた、別の機会に。

[この項、終わり]
posted by 野安 at 16:23| Comment(4) | TrackBack(0) | ハイスコア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月11日

ハイスコア表示は、なぜ消えたのか[その3]

 「成功」したことにより「ご褒美」がある。

 これが、テレビゲームの基本構造です。「ご褒美」を得られるような「成功」をしたとき、わたしたちは「気持ちいい」と感じます。わたしたちがテレビゲームにハマる理由は、ここにあるのです。

 そんな視点で、「スペース・インベーダー」を見てみましょう。これは画面にいる55匹のインベーダーの全滅を目指すゲームです。全滅させると1面クリアとなり、次の面がスタート。つまり「全滅させる」ことにより、「より長くゲームをプレイする権利=ご褒美」が得られる、という構造になっていることがわかります。「インベーダーを倒すこと(全滅に近づけること)」が「成功」である、と位置づけられているのですね。


 あれ? それって「ブロック崩し」と同じじゃないの?
 すべてのブロックを消せばいい、という意味では同じ構造だよ!


 と思う人もいるでしょうが、ちょっと違うのですね。「ブロック崩し」では、「ミスしない」かぎり、延々とゲームを続けることができました。ブロックを消したかどうかとは関係なく、「ミスせずに打ち返す」ことが、「ゲームを続ける権利を獲得できる」ことに直結していたのです。だから、こちらでは「ミスせずに打ち返す」ことが、「成功」と位置づけられることになります。

 「スペース・インベーダー」は違います。55匹のインベーダーは、ゆっくりと接近してきます。最下段まで到達するとゲームオーバーなります。つまりタイムリミットが設定されているのです。「ミスしない」だけでは、いずれゲームが終わってしまうため、「より長くゲームをプレイする権利を得る」ためには、「敵を撃つ=全滅に近づける」ことが必要になっているわけですね。

 「スペース・インベーダー」には、タイムリミットがありました。だからこそ「敵を全滅させる」ことこそが「成功」として位置づけられ、それによって「ゲームを続ける権利を獲得できる」というご褒美が得られる――という構造になっているのです。わたしたちが、インベーダーを撃つときに「気持ちいい」と感じたのは、そのためです。

 「全滅」させることが「成功」である。

 これが「スペースインベーダー」が成立させた、まったく新しいフォーマットだったのです。そしてそれは、以降のテレビゲームの、基本フォーマットになっていくのです。




 さて。「スペース・インベーダー」が成立させた新しいフォーマットは、それだけではありません。もうひとつ、さらに革命的なフォーマットを成立させています。

 それが、ハイスコア表示です。

 「スペース・インベーダー」には、インベーダーを「全滅」させる以外にも、「より長くゲームをプレイする権利」を得る方法が、もうひとつ設定されていました。「スコアが一定値を越えると、砲台が増える」というルールが用意されていたのです。

 スコアが1500点に到達すれば、砲台が増えました。砲台が増えるということは、「より長くゲームをプレイする権利」を獲得したことにほかなりません。つまり「スペース・インベーダー」では、「スコアを稼ぐこと」も、「より長くゲームをプレイする権利を得るための、ひとつの成功である」と位置づけられているのです。

 ハイスコアという概念を持ち込み、そこに連動して「砲台を増やす」というご褒美を用意したことが、「スペース・インベーダー」というゲームが持つ、最大の歴史的価値といってもいいでしょう。

 なぜなら、それはテレビゲームの歴史において、「スコアを稼ぐこと」が「成功である」と位置づけられた瞬間だからです。

 「ブロック崩し」でスコア表示があったかどうかは印象に残っていなくても、「スペース・インベーダー」でスコア表示があったことを明確に記憶しているのは、このためです。



 「敵を撃つ」と「得点を稼ぐ」。「スペース・インベーダー」では、2種類の「成功」が用意されました。じつは、これは、とてつもなく革命的なことでした。タイムリミットのあるゲームの中で2種類の「成功」を存在させることは、とてつもないメリットをもたらしたのです。それは、その後のテレビゲームの基本形となりました。以降のテレビゲームの大半は、この構造をアレンジした亜流に過ぎないといってもいいほどです。

 さて。そのメリットとは、具体的には、どんなものだったのでしょう?


[この項、まだ後日に続きます]
posted by 野安 at 17:53| Comment(2) | TrackBack(5) | ハイスコア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月10日

ハイスコア表示は、なぜ消えたのか[その2]

 「ブロック崩し」には、得点表示はあったでしょうか?


 というクイズが成り立ってしまうくらい、リアルタイムで「ブロック崩し」をプレイしたいた人であっても、そこに得点表示があったかどうかの記憶は曖昧になっていると思われます。結論からいうと、得点表示はありました。画面上部に表示されています。しかし、多くの人にとって、あまり印象に残っていないことでしょう。そもそも「オレのハイスコアは128点だよ!」といった会話は、当時から、あまり聞いたことがありません。


 なぜ、スコアを気にしない人が多かったのでしょう?


 その理由は、きわめてシンプルです。
 「ブロック崩し」とは、「ブロックを消すこと=得点をとること」を目指すゲームではなかったからです。



 え? そんなわけないよ。これはブロックを消していくゲームじゃん! と思った人もいるでしょうが、それは大間違い。このゲームでもっとも大切なのは、「ボールの運動を止めないこと=ボールを打ち返すこと」です。「ブロックを消したけれど、打ち返すのをミスした」のと、「ブロックを消せなかったけど、打ち返すことには成功した」のを比較して、どちらをベターかを考えてみれば、答えは一目瞭然でしょう。

 どうしても信じられないという人は、いまから「ブロック崩し」をプレイしてみてください。2005年現在でも、ケータイなどで遊べると思います。ブロックを消した瞬間よりも、ボールを打ち返した瞬間のほうが、はるかに気持ちいいことに気づくでしょう。ちゃんと打ち返せると、「よっしゃ!」と、嬉しい気持ちになっていくはずです。

 もう一度いいます。「ブロック崩し」は、ボールを打ち返すことが楽しいゲームです。ボールを打ち返す瞬間のドキドキ感は記憶していても、スコアを稼いだかどうかの記憶が思い出せない(あるいは薄れている)のは、そのためなのですね。


「成功」に対して「ご褒美」を用意することで、プレイヤーを熱中させる。


 これが、いまなお脈々と受け継がれている、テレビゲームの基本構造です。じつは、この基本構造を成立させた初のゲームが「ブロック崩し」なのです。成功する(ミスしないでボールを打つ)と、ご褒美(より楽しい時間を継続する権利)が得られる、という形で登場しています。

 ゲームセンターに置かれるゲームとしては、これはきわめて正しい「ご褒美」でした。ゲームセンターでは、わたしたちは、先にお金を払っていました。だから「より楽しい時間を継続する権利」を得ることは、なによりのご褒美だったのですね。

 「成功する」たびに、「ご褒美」を獲得できる。それは、プレイヤーにとって「すごく気持ちいいこと」でした。そして、「すごく気持ちいいこと」が味わえる娯楽だったからこそ、「ブロック崩し」は大人気ゲームになりました。

 「ブロック崩し」以前のゲーム――たとえば1960年代に作られた「SPACE WAR」は時間制のゲームだったようです。1950年代の「TENNIS FOR TWO」や、その後継ゲームとなった「ピンポン」や「ポン」が、相手のミスによってポイントを獲得するゲームでした。これらの古典的なゲームと比較すると、「自分が成功した瞬間、ゲームのプレイ時間が延び、楽しい時間がより長く続く」というご褒美が用意されている「ブロック崩し」は、それまでとは違う快楽発生構造を持っていることがわかります。古典的なゲームがリメイクされることはなくても、いまなお「ブロック崩し」がリメイクされているのは、そのためです。

 
 さて。「ブロック崩し」以降、テレビゲームならではの快楽発生構造は、さらに発展・進化をしていくことになります。


 そこに登場したのが「スペース・インベーダー」です。この大ヒットゲームの中で「ハイスコア表示」というシステムが採用されたとき、ゲームの歴史が大きく変わりました。これによって、ゲームの快楽発生構造は、飛躍的な進化をみせることになるのです。


[この項、後日に続きます]
posted by 野安 at 15:58| Comment(3) | TrackBack(0) | ハイスコア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月09日

ハイスコア表示は、なぜ消えたのか[その1]

 ハイスコア表示は、昔のテレビゲームの基本フォーマットでした。


 それは自分の実力を示す記録でした。過去の自分のスコアを越えたときには喜びを感じることができました。その台に記録されていた「他の誰かが叩き出したハイスコアを抜くという喜び」を与えてくれることもありました。ときには「店の歴代ハイスコア」としてゲームセンターの壁に貼られることもありました。ハイスコア表示は、自分あるいは他人の、どちらが優れているかを示す指針として機能していたのです。


 しかし、だとするならば、ここで疑問が湧いてきます。


 ハイスコア表示が、「自分の記録を抜く」「他の誰かを越える」ことに喜びを与えるためのものだったのなら、いまなお広く生き残っていても、おかしくないような気がするのです。


 あらゆるスポーツ競技がそうであるように、人間は、記録の優劣を競い合うことに普遍的な喜びを感じてきました。世界中で、多くのアスリートたちは、いまなお記録を競い合っています。

 なのにテレビゲームにおいては、ハイスコア表示が、いつの間にか自然と消滅していきました。いまや、ハイスコア表示のあるゲームは、きわめて少なくなっているのです!


 これは、なぜなのでしょう?
 多くの人が、まったく「気にしていない」ことかもしれませんが、よく考えると不思議なんです。ちゃんと説明できる人は、きわめて少ないはずです。


 なので、今回は、この謎に挑むことにします。


 そのためには、じつはテレビゲームの歴史を紐解く必要があります。まずは、テレビゲームの原点である「ブレイクアウト(ブロック崩し)」について、考察してみましょう。記憶を辿って、思い出してみてください。


 テレビゲームの原点である「ブロック崩し」には、得点表示があったでしょうか?


[この項、後日に続く]
posted by 野安 at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ハイスコア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月08日

第2のテーマ

 次のテーマです。

 昔のテレビゲームの画面には、「スコア」が表示されていました。「スペースインベーダー」の時代からゲームセンターに通っていた人は、壁に張り出された「ハイスコア争い」の表などを見た記憶があるかもしれません。

 しかし、いつの間にか、スコアが表示されるゲームは少なくなりました。

 なぜでしょう?
 どうして、昔のゲームにはスコア表示があったのでしょう?
 昨今のゲームには、スコア表示がないものが多いのでしょう?

 今回は、これを探っていきます。
posted by 野安 at 13:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月05日

「アタリ・ショック」は本当にあったのか?[その4]

 アタリショックとは、市場の崩壊ではなかった。

 そこで起こっていたのは、その後のテレビゲーム・ビジネスで何度くり返された「新しいマシンとの競争」であり、その結果としての「旧マシンの敗北」だった。ATARI VCSは、海を越えてやってきたゲーム&ウォッチ(などのLSIゲーム)に勝てなかった。


 というのが、ここまで展開してきた仮説です。


 もっとも、ATARI VCSのソフト市場での粗製乱造は起こっていなかった、とは思っていません。データを調べるかぎり、「つまらないゲームが大量に登場していた」のは事実のようです。ただし、それは市場を崩壊させたのではなく、ライバル機との競争における致命的なマイナスになった、と考えている次第です。

 以前にも書きましたが、つまらないソフトが増えたくらいでは、市場は崩壊しないと思う。それは、あまりにもゲーム愛好者を馬鹿にした考え方ですよ。

 ゲーム愛好者は、「面白いソフトを探し出す嗅覚がない。目の前にあるソフトを買ってしまうだけの消費者だ。中身を吟味する才能もないに、買ったソフトがつまらなくいと激怒し、ゲームそのものに愛想を尽かすような人たちだ」とでもいうのでしょうか?


 そんなわけ、ないじゃないですか。


 1980年代前半、ATARI VCSは1400万〜1500万の普及を実現したマシンです。少なくとも1400万人のゲーム愛好者がいたのです。その全員が、ゲームを吟味する嗅覚を持ってなかったと考えるのは、いくらなんでも、ゲーム愛好者を馬鹿にしすぎています。

 しかも、その中にはヘビーユーザーもいたはずです。全体の1%として計算しても、10万人を超すヘビーユーザーがいたことになります。

 いつの時代も、ヘビーユーザーの嗅覚は、抜群に鋭いと思うのです。彼らは、優れた開発者が生み出す「より斬新なソフト」「より高度なソフト」「より魅力的なソフト」の匂いをかぎつけて、それらを堪能しようとし続ける人種だからです。たとえ粗製乱造が行われ、つまらないソフトが市場に増えてしまったとしても、その中から面白いソフトを探し出す能力があったと思う。そして、いいソフトさえあれば、市場は崩壊しないと思うのです。ゲーム&ウオッチに押されて縮小することはあっても、消えることはなかったはず。


 にもかかわらず、実際には、ATARI VCSの市場は衰退しました。
 

 なぜでしょう?
 答は、きっとシンプルなんです。


 つまらないソフトが増えた、と考えるからいけない。
 たぶん逆なんです。いいソフトが激減した、と考えればいい。



 ATARI社は、ハードメーカーであると同時に、ソフトメーカーでもありました。いまでいう任天堂のような会社です。優れたソフトを作ってきた実績もあります。それらのソフトを生み出す開発陣がいるのなら、たとえ粗製乱造の時代になっても、「いいソフト」を作れたはずです。いきなり全員がダメな開発者になり、いいソフトが作れるなくなる――という事態は、ちょっと考えにくい。

 しかし、どうやら親会社であるワーナー社の経営が駄目だったようですね。そのため、ATARIから優れた開発者が逃げ出していった。ハードの魅力を支えるのはソフトです。しかし、そのソフトを生み出す才能がいなくなってしまった。なるほど、これなら、嗅覚が鋭いヘビーユーザーですら、ATARI VCSの市場から離れていった、と考えてもおかしくはない。


 すると、新たな疑問が湧いてきます。


 優れた開発者たちは、どこにいったのでしょう? 全員が無職になったのでしょうか? ゲーム開発から足を洗ってしまったのでしょうか?

 ヘビーユーザーは、どこにいったのでしょう? ゲーム&ウォッチのような、ライトユーザーをひきつけるマシンはありました。しかし、より高度なゲームを求めるヘビーユーザーもいたはずです。彼らは、どこに移住していったのでしょう。


 両者の移住先は、パソコン(マイコン)だったのでは?


 日本ですら、1978年に「MZ-80K」というマイコンが登場。マイコンブームがスタートしています。1982年には、以降のスタンダードマシンとなる「PC-9801」が登場しています。アメリカでは、1981年に世界初のIBM-PCが登場。1983年の前後には、かなり安価なパソコンが、アメリカに登場していたようです。

 当時のパソコンゲームの世界は、ちょうど「何かが始まりそうな予感」に満ちた、いわば黎明期にあたります。ちょうど「ULTIMA」「WIZARDRY」「ROGUE」など、新時代の到来を告げソフトが、その輝かしい歴史をスタートさせた直後です。すでにテキストアドベンチャーも、その歴史をスタートさせています。当時のパソコンは、まさしく「家庭用ゲーム機などよりも高性能で、斬新なソフトが遊べるマシン」でした。


 ATARI VCSは、市場を縮小させた。
 ライトユーザーは、ゲーム&ウォッチへと流れた。
 そしてヘビーユーザーたちは、パソコンという新天地へと移住していった。



 そう考えても、まるで不思議ではなさそうです。事実、このあたりを機に、アメリカのパソコンゲーム市場は、どんどん元気になっていきます。定番RPGがシリーズを重ねていきます。ファミコンが家庭用ゲームの世界を席巻している間も、独自の進化を遂げ、いずれ巨大な市場となる土台を、着実に作っていきます。これを支えたのは、1980年前半に移住してきたヘビーユーザーだったのかもしれません。

 アタリショックは、アメリカのテレビゲーム市場に空白期間を作りました。しかし、だからこそ人材(ユーザーを含む)がパソコン市場に流れ、独自のゲーム文法を生み出していった――と考えることもできそうです。マイナス面ばかり強調されるアタリショックは、じつは、それは後のテレビケームの進化に影響を与えるような、大事な副産物を産み落としていた可能性があるのです。


 いずれ、このパソコンゲームの文化と、家庭用ゲーム機の文化が出会う瞬間が訪れ、ゲームはさらなる進化を見せることになるのですが、それはまた、別の機会に。


[この項、終わり]
posted by 野安 at 16:23| Comment(3) | TrackBack(1) | アタリショック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月04日

「アタリ・ショック」は本当にあったのか?[その3]

 日本であれアメリカであれ、現在であれ20年前であれ、ゲーム愛好者の行動パターンには、さほどの違いがあるとは思えません。


 面白いゲームがあれば、夢中になってプレイする。
 より面白いゲームがあれば、そっちのゲームに飛びついていく。



 いつの時代でも、ゲーム愛好者は、そんなシンプルに行動をとっていたと思うのです。わたしたちが、面白いゲームを求めているのと同じように、20年前のゲーム愛好者も、きっと面白いゲームを求めていたと思うのです。なぜなら、それがゲーム愛好者というものだからです。

 1980年代前半。ATARI VCSは、1400〜1500万台の普及を実現していました。つまり、少なくとも1400万人のゲーム愛好者がいたことになります。にもかかわらず、アタリショック以降、アメリカのテレビゲーム市場には1〜2年の空白期間があったといわれています。これって、ちょっとオカシイと思うのです。

 1400万人ものゲーム愛好者が、その空白期間に耐えられたとは、ちょっと考えられないですよ。そう考えるよりも、より面白いゲームに夢中になっていた! と考えるほうが、はるかに自然です。ゲーム愛好者というのは、そういう人種だからです。

 では、アタリショックがあったとされる1980年代半ば、ATARI VSCのライバルとなりそうな、強力なデジタル・エンタテインメント機は、あったのでしょうか?


 ありました。
 それは、とてつもない強力なライバルでした。



 それは日本で誕生しています。1983年に登場したファミコン――では、もちろんありません。ファミコンがアメリカに上陸するのは1985年のこと。直接輸入していたマニアもいたでしょうが、一般のゲーム愛好者が購入するようなものではありません。

 では、他に何があったのか? それは1980年に登場し、日本中に大ブームを巻き起こしたデジタル・エンタテインメント商品「ゲーム&ウォッチ」です。日本で登場するやいなや、瞬く間に子供たちの心をつかみ、空前の大ヒットを記録。次々に海外へと輸出されていった全世界的ヒット商品です。

 日本におけるゲーム&ウォッチの最盛期は1982年あたりでしょう。全機種(どころか、全ての類似のLSIゲーム)の中での最高傑作と評価される「ゲーム&ウォッチ ダブルスクリーン ドンキーコング」の発売年でもあります。1983年を境に、アメリカのテレビゲーム市場が衰退したことを考えると、そのタイミングはピタリと合致します。

 わたしたちは、つい「より性能の高いマシンが登場することで、以前のマシンが駆逐されていく」だと考えがちです。しかし、それは明白に間違っています。前日の文章にも書きました。1988年と1989年のミリオンセラーの推移のデータを観てみればいい。ファミコンという優れたゲーム機があっても、マシン性能が落ちる白黒画面の携帯ゲーム機が登場するやいなや、ゲームボーイが爆発的にヒットしているじゃないですか。


 性能の落ちるマシンが、性能の高いマシンよりも人気が出る。
 これは、なにひとつ不思議な現象ではない。
 なぜならゲーム愛好者は、単純に「より面白いゲーム」を求めているからです。



 じつは、日本でも似たような戦いが起きていました。ゲーム&ウォッチの歴史とは、テレビゲーム機の挑戦を受け続けた歴史でもあるのです。

 1980年代前半の日本には、いくつものテレビゲーム機(すでに10機種以上あったと思います)が発売されていました。しかし、どのゲーム機も、最盛期を迎えていたゲーム&ウォッチを追い落とせなかった。日常的にゲームセンターでテレビゲームに触れていて、テレビゲームに馴染んでいた子供たちも、家庭用テレビゲーム機ではなく、ゲーム&ウォッチを選んでいたのです。そのくらい、当時のゲーム&ウォッチの勢いは凄まじく、ゲーム愛好者にとって魅力的なマシンだったのです。

 そんなゲーム&ウォッチ(などのLSIゲーム)は、海外へも進出していました。日本では未発売のバージョンもあるなど、大きなムーブメントを作っていました。1980年前半のアメリカ市場で、それらがゲーム愛好者の心を奪っていったとしても、まったく不思議はありません。しかし、それらはテレビゲーム機ではないため、「テレビゲームの売り上げデータ」には記録されていない――と考えることが可能なのです。


 さて。ここに書いてきたことは、あくまでも仮説です。


 しかし、もし、この仮説が正しいとするならば。「アタリショック」という言葉の意味が、大きく変わります。 それは市場の崩壊を示す言葉ではなかったことになる。


 なぜなら、デジタル・エンタテインメント市場は崩壊しておらず、
 そこでは、単なるゲーム機の乗り換えが行われていたことになるからです。



 だとすると、ATARI社の失敗とは「市場を崩壊させてしまった」ことではなく、「LSIゲームに対抗できるだけの魅力あるコンテンツを作れなかったこと」ことになります。イマドキの言い方をすると、次世代機の登場により、旧世代機が没落していった、ということですね。


[この項、まだ後日に続きます]


posted by 野安 at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | アタリショック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。