2005年09月28日

もう少しの間、雑談です[1]

 このコラムのメインコンテンツとして想定されていた、「ゲームの面白さの歴史」に関する文章アップの再開は、10月上旬からになりそうです。もうしばらくは、雑談が続きます。ご了承のほどを。

 というわけで、ちょっとした時事ネタ。

 レボリューション(仮)のコントローラが発表されて、ひさびさに「凄いモノが出てきた」と思いました。これに関しては、「長年ゲームに没頭してきた人」の意見は参考にならないよなぁ、と自戒を込めて思っています。

 たとえば「片手で操作する」ことに関して「ヘボイ」といったニュアンスの感想を述べてしまいがちなんだけど、冷静に考えれば、それが極度に偏った視点であることは明白。現在の日本で(あるいは世界中で)、もっとも一般化している入力形態は、「片手で操作する」というスタイルです。つまりケータイですね。あるいはipodなどの音楽再生機器です。デジタルな娯楽に関しては、「両手で操作する」ことを好む側が、すでに少数派になっているのでしょう。
posted by 野安 at 11:49| Comment(32) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月12日

今週もお休みです[1]

 今週も雑談です。

 このblogの文章は、「いったん書かれたもの」の中から、web用に掲載するために抜粋し、再構成してから掲載しています。そうしないと長くなりすぎるためです。元の文章から、半分くらいを消しているのです。

 なので今日は、消した文章の中から、ネタをひとつ書いてみましょう。「インベーダー」のところに、書いた可能性があったネタです。


「シューティングゲームの残機は、なぜ3機なのか?」


 おお。きわめてシンプルな問いかけです。なぜ1機ではなく、2機でもなく、4機でもなく、5機でもないのか? その理由は、どこにあるのか?

 ……と、疑問だけを放り出しておいて、今日の記述は終わります。興味のある人は、いろいろと考えてみましょう。でわ。
posted by 野安 at 21:50| Comment(16) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月08日

今週はお休みです[3]

 今日も雑談です。

 テレビゲームについて考えるとき、野安は、「テレビモニターの手前側」に強い興味があるのです。そのことに比べれば、ゲームの中身(モニターの中の出来事)なんざ、むしろ、どうでもいいとすら思います。それよりも、ゲームを遊んでいる人たちの姿にこそ、強い興味をひかれます。

 何歳の人が、どのように遊んでいるのか。
 どのような性別の人が、遊んでいるのか。
 何人の人が、テレビの前にいるのか。
 遊んでいる人しかいないのか。
 眺めているだけで、楽しんでいる人はいないのか。
 無言で集中しているのか。
 声を出して騒いでいるのか。
 etc etc....

 たとえば、「これはアクション要素のあるRPGです!」と説明されても、まったく食指が動かないのですよ。それって「ゲームの中身」の話ですからね。野安にとって興味があるのは、そんなことじゃない。だったら、「10〜15歳くらいの子が、一日30分ずつ、ワクワクしながら遊べるゲームです!」と説明されたほうがいい。ゲームの中身は説明されてないけど、ちゃんと「モニターの前」の様子がわかる。そっちのほうが、野安にとっては、何倍も大事なことなのです。
posted by 野安 at 20:04| Comment(6) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月06日

今週はお休みです[2]

 今日も雑談です。

 このBlogでやろうとしているのは、ゲームの歴史を、年代順に追っていくことです。そろそろ、野安の世代(30代後半)が、こういう文章を残しておかないといけないんだろうなぁ、と思っている次第です。ゲームは、突然生まれたものじゃない。過去の作品があり、それがアレンジされ続けた結果として、現在のゲームがあるのです。ならば、ゲームファンは、過去を知っておく必要があるのだ!――とまではいわないけれど、知っておいても損はないだろうと思うのです。

 で、過去を調べれば調べるほど、日本におけるテレビゲーム文化は、ゲームセンターの影響を強く受けていることがわかってきました。これほど多くのゲームセンターがある国は、他には存在しないのですから、当然のことなんですけどね。

 なので、日本のゲームが、世界を驚かせるような時代を、ふたたび迎えるとするなら、たぶんそれは、ゲームセンターから生まれると思っている昨今なのです。なぜなら、それこそが、日本が持つ、世界のオンリーワンの武器だからです。
posted by 野安 at 23:59| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月05日

今週はお休みです[1]

 ここまで5週間にわたり、ゲームに関する文章を「ほぼ毎日」のペースで連載をしてきたのですが、仕事が立て込んできたため、しばらく掲載をお休みします。

 なお、8月1日にBlogをスタートしてから、8月29日(先週の月曜の 「PCゲームの誕生[その1]」)までが、じつは一区切りとなっています。本でいうなら、あそこで「第一章」が完結している、といったイメージです。その後に続く第二章は、まだ、どのような構成にして書くかを決めていないため、ちょっと時間が必要となります。仕事が一段落し、構成が決まった時点で、再開したいと思っています。のんびりと、お待ちください。

 というわけで、今週は、あまり役に立たない「ゲームに関する話」などを書いて、お茶を濁すことにします。みなさまも、お気軽な気持ちで、コメント欄で雑談などを楽しんでいってください。

 でわでわ。
posted by 野安 at 18:53| Comment(3) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月03日

PCゲームの誕生[その4]

 1980年代半ば。テレビゲームを源流とする歴史と、パソコンゲームの歴史は、日本で激突します。

 そうして登場したのが、「ポートピア連続殺人事件」です。テキストと挿絵によって物語を進めるという、パソコンゲームならではのスタイルのゲームです。そして翌1986年には、RPGである「ドラゴンクエスト」が、ついに日本に登場するのです。

 しかし、これはパソコンゲームを、そのまま日本に持ち込んただけではないのです。むしろ逆だと考えていい。パソコンゲームのスタイルをこそ持ち込んでいますが、その根っことなるエッセンス部分は、きれいさっぱりと捨て去っている。それこそが、この両作品の特徴です。

 たとえば、そこからは、ゲームマスターの存在が、バッサリと消し去られています。「ポートピア〜」は、相棒のヤスの言葉によって、物語が説明されました。「ドラゴンクエスト」は、街の人々のセリフによって世界が説明されました。そこには、世界を描写するという立場に立つ者はいないのです。

 「みんなで遊ぶもの」という概念もありません。これらは1人で遊ぶゲームとして設計されています。そして、がんばると「成功」があり、それにともなった「ご褒美」があるようになっています。パソコンゲームの流れを汲んだスタイルでありながら、ゲームセンターを源流としていたゲームが持つ構造を、同時に受け入れているのですね。(これについては、別項で説明します)。



 まだまだあります。パソコンゲームには、もともと「善と悪」という分類がありません。これはウォーSLGを母体としている文化であり、たとえ対立する勢力があっても、どちらかが正しいわけではない、という考えがあるからです。いまでも、海外ゲームでは、善が悪を倒す、という物語が少ないのは、そのためなのです。しかし「ドラゴンクエスト」は、最初から堂々と善と悪の対決を描いていることは、みなさん、よくご存知のとおりです。

 また、もともとのRPGは、無名の人物を主人公とする物語でした。みんなで世界を共有する遊びから始まった文化であり、ゆえに参加者は特別な立場ではなく、ワンオブゼムに過ぎないからです。しかし「ドラゴンクエスト」は違う。主人公は世界を救う特別な人物でした。そして悪を滅ぼすという完結する物語が用意され、それを成し遂げるための、起承転結が用意されたのです。

 他にも例はあげられるのですが、このへんにしておきましょう。この両ゲームが、パソコンゲームの形を受け入れつつ、しかしパソコンゲームの歴史に根差した残されている骨格部分を、きれいさっぱりと捨て去っていることは、おわかりになったと思います。



 そこには、このような大胆なアレンジがあったのです。だからこそ、パソコンゲームを源流とするゲーム文化と、ゲームセンターを源流とするゲーム文化が、プレイヤーに違和感を感じさせることもなく、きちんと融合することになりました。(もっとも、こうして根っこの部分をしらないままRPGに触れてしまった日本のユーザーが、海外ゲームに対する無理解を生む結果になるのですが、それはまた、別の項で説明しましょう)。

 いずれにせよ、これにより、日本のゲームは、世界で唯一、「すべてのゲーム文化を飲み込む」ことに成功します。異文化を受け入れたファミコンが、子供から大人まで巻き込む、とてつもないムーブメントを引き起こしたのは、ご存知のとおりです。いまから、およそ20年前のことでした。

[この項、いったん終わり]
posted by 野安 at 00:02| Comment(1) | TrackBack(0) | PCゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月01日

PCゲームの誕生[その3]

 1970年代後半。とある研究所で、「ADVENTURE」というゲームが登場します。

 テキストによって状況が説明され、プレイヤーがそれに対応することによって、物語を進めていくゲームでした。いまでいうアドベンチャーゲームの原点です。というより、このゲームの名前が、そのままジャンル名になったと考えたほうがいいかもしれません。

 ボードゲームの歴史を追ってきたみなさんには、これがRPGの発展形であることが、すぐに理解できたと思います。「ゲームマスターの言葉によって世界が説明され、プレイヤーが返答することによって物語が進む」というシステムが、「コンピュータのテキスト表示によって世界が説明され、プレイヤーが応答することで物語が進む」というシステムへと、置き換えられているわけです。このゲームこそが、RPGにおけるゲームマスターの役目を、コンピュータに任せることにした、初のゲームでしょう。

 これは「個人で楽しむゲーム」ではありませんでした。いまでいうネットワーク対応です。いずれインターネットへと発展していくことになる、広域ネットワーク・システムの中に用意されました。多くの人が、ネットワークを介してゲームに接し、ネットワーク内で絶大な人気を獲得したといわれています。ゲームマスターが、複数のプレイヤーに物語を説明するのと同じことが、コンピュータ+ネットワークという環境下で、行われていたのです。

 当時、コンピュータは高価であり、貴重でもあり、個人が所有するようなものではありませんでした。コンピュータは、大学や研究所などに置かれていて、みんなが共有するものだったのです。「みんなで共有するもの」だったからこそ、「みんなで遊ぶ」というボードゲームの遺伝子を引き継いでいたRPGは、コンピュータとの親和性が高かった、と考えてもいいでしょう。

 その証拠に、21世紀になったいま、RPGは次々とオンライン化され、みんなでひとつの世界を楽しむようになっていますよね? そこでの交流を楽しむというスタイルへと発展していますよね? これは、なんら「新しい形」ではありません。いわば、先祖がえりです。RPGは、もともと「みんなで遊ぶ」「会話を楽しむ」という文化の上で誕生し、そういう場での「面白さのエッセンス」を脈々と受け継いでいるジャンルなのですから。



 話を戻しましょう。1970年代後半。安価な個人向けコンピュータ(パソコン)が普及します。1976年にはAPPLE社が設立され、翌1977年には、グラフィック描画能力のあるAPPLE IIを発売します。これ以降、テキストだけではなく、挿絵付きのアドベンチャーゲームが登場するようになります。1980年代になると、ゲームはよりグラフィカルになり、きれいに描かれた世界の中を、キャラクターが移動するようなゲームも登場します。

 パソコンゲームでは、グラフィックの強化は、「世界を、より詳しく説明するため」に活用されていきました。優れたグラフィックを利用することで、ゲーム内の世界を、より精緻に描写しようと進化していくのです。優れたゲームマスターが、優れた「会話」によって世界を説明するのと同じように、「より詳しく状況を説明するため」にこそ、コンピュータの性能上昇が活用されたのですね。パソコンゲームの進化の歴史とは、「世界を描写することを進化させる」歴史だといってもいいでしょう。

 じつは、これが、ゲームセンターを源流とするゲームと、パソコンゲームとの、最大の違いです。ゲームセンター源流のゲームでは、何かを成し遂げたときに、「凄いグラフィックを見せる」――といった形で、つまりグラフィックを「ご褒美」として機能させようとしました。一方、パソコンゲームでは、グラフィックは、世界を説明するためにこそ、使用したのです。グラフィックの活用法が、まるで違っているのですね。(じつは、この違いこそが、現在の「海外ゲーム」と「国産ゲーム」のテイストの違いに直結するのですが、それについては、別の項で説明します)。



 1980年代。ついに、本格RPGが、パソコンゲームとして登場します。1980年には「Ultima」が、1981年には「Wizardry」が登場し、ヒットシリーズへと成長していくのです(注:これは商業版ソフトの発売年。それ以前にも非商業ソフトとしては存在していたようです)。

 これらのコンピュータRPGはヒットを記録。もちろん日本でもプレイされるようになりました。数値化されたパラメーターの増減を楽しみつつ、物語を追っていくというゲームが、日本に飛び込んできました。これに影響を受けた人たちが出てきました。

 これにより、ついにパソコンゲームの「面白さのエッセンス」と、ゲームセンターを源流とするテレビゲームの「面白さのエッセンス」が、ファミコンというマシンの上で、激突することになるのです。

[この項、後日に続く]
posted by 野安 at 16:16| Comment(4) | TrackBack(0) | PCゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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