2005年08月04日

「アタリ・ショック」は本当にあったのか?[その3]

 日本であれアメリカであれ、現在であれ20年前であれ、ゲーム愛好者の行動パターンには、さほどの違いがあるとは思えません。


 面白いゲームがあれば、夢中になってプレイする。
 より面白いゲームがあれば、そっちのゲームに飛びついていく。



 いつの時代でも、ゲーム愛好者は、そんなシンプルに行動をとっていたと思うのです。わたしたちが、面白いゲームを求めているのと同じように、20年前のゲーム愛好者も、きっと面白いゲームを求めていたと思うのです。なぜなら、それがゲーム愛好者というものだからです。

 1980年代前半。ATARI VCSは、1400〜1500万台の普及を実現していました。つまり、少なくとも1400万人のゲーム愛好者がいたことになります。にもかかわらず、アタリショック以降、アメリカのテレビゲーム市場には1〜2年の空白期間があったといわれています。これって、ちょっとオカシイと思うのです。

 1400万人ものゲーム愛好者が、その空白期間に耐えられたとは、ちょっと考えられないですよ。そう考えるよりも、より面白いゲームに夢中になっていた! と考えるほうが、はるかに自然です。ゲーム愛好者というのは、そういう人種だからです。

 では、アタリショックがあったとされる1980年代半ば、ATARI VSCのライバルとなりそうな、強力なデジタル・エンタテインメント機は、あったのでしょうか?


 ありました。
 それは、とてつもない強力なライバルでした。



 それは日本で誕生しています。1983年に登場したファミコン――では、もちろんありません。ファミコンがアメリカに上陸するのは1985年のこと。直接輸入していたマニアもいたでしょうが、一般のゲーム愛好者が購入するようなものではありません。

 では、他に何があったのか? それは1980年に登場し、日本中に大ブームを巻き起こしたデジタル・エンタテインメント商品「ゲーム&ウォッチ」です。日本で登場するやいなや、瞬く間に子供たちの心をつかみ、空前の大ヒットを記録。次々に海外へと輸出されていった全世界的ヒット商品です。

 日本におけるゲーム&ウォッチの最盛期は1982年あたりでしょう。全機種(どころか、全ての類似のLSIゲーム)の中での最高傑作と評価される「ゲーム&ウォッチ ダブルスクリーン ドンキーコング」の発売年でもあります。1983年を境に、アメリカのテレビゲーム市場が衰退したことを考えると、そのタイミングはピタリと合致します。

 わたしたちは、つい「より性能の高いマシンが登場することで、以前のマシンが駆逐されていく」だと考えがちです。しかし、それは明白に間違っています。前日の文章にも書きました。1988年と1989年のミリオンセラーの推移のデータを観てみればいい。ファミコンという優れたゲーム機があっても、マシン性能が落ちる白黒画面の携帯ゲーム機が登場するやいなや、ゲームボーイが爆発的にヒットしているじゃないですか。


 性能の落ちるマシンが、性能の高いマシンよりも人気が出る。
 これは、なにひとつ不思議な現象ではない。
 なぜならゲーム愛好者は、単純に「より面白いゲーム」を求めているからです。



 じつは、日本でも似たような戦いが起きていました。ゲーム&ウォッチの歴史とは、テレビゲーム機の挑戦を受け続けた歴史でもあるのです。

 1980年代前半の日本には、いくつものテレビゲーム機(すでに10機種以上あったと思います)が発売されていました。しかし、どのゲーム機も、最盛期を迎えていたゲーム&ウォッチを追い落とせなかった。日常的にゲームセンターでテレビゲームに触れていて、テレビゲームに馴染んでいた子供たちも、家庭用テレビゲーム機ではなく、ゲーム&ウォッチを選んでいたのです。そのくらい、当時のゲーム&ウォッチの勢いは凄まじく、ゲーム愛好者にとって魅力的なマシンだったのです。

 そんなゲーム&ウォッチ(などのLSIゲーム)は、海外へも進出していました。日本では未発売のバージョンもあるなど、大きなムーブメントを作っていました。1980年前半のアメリカ市場で、それらがゲーム愛好者の心を奪っていったとしても、まったく不思議はありません。しかし、それらはテレビゲーム機ではないため、「テレビゲームの売り上げデータ」には記録されていない――と考えることが可能なのです。


 さて。ここに書いてきたことは、あくまでも仮説です。


 しかし、もし、この仮説が正しいとするならば。「アタリショック」という言葉の意味が、大きく変わります。 それは市場の崩壊を示す言葉ではなかったことになる。


 なぜなら、デジタル・エンタテインメント市場は崩壊しておらず、
 そこでは、単なるゲーム機の乗り換えが行われていたことになるからです。



 だとすると、ATARI社の失敗とは「市場を崩壊させてしまった」ことではなく、「LSIゲームに対抗できるだけの魅力あるコンテンツを作れなかったこと」ことになります。イマドキの言い方をすると、次世代機の登場により、旧世代機が没落していった、ということですね。


[この項、まだ後日に続きます]


posted by 野安 at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | アタリショック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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