2005年09月12日

今週もお休みです[1]

 今週も雑談です。

 このblogの文章は、「いったん書かれたもの」の中から、web用に掲載するために抜粋し、再構成してから掲載しています。そうしないと長くなりすぎるためです。元の文章から、半分くらいを消しているのです。

 なので今日は、消した文章の中から、ネタをひとつ書いてみましょう。「インベーダー」のところに、書いた可能性があったネタです。


「シューティングゲームの残機は、なぜ3機なのか?」


 おお。きわめてシンプルな問いかけです。なぜ1機ではなく、2機でもなく、4機でもなく、5機でもないのか? その理由は、どこにあるのか?

 ……と、疑問だけを放り出しておいて、今日の記述は終わります。興味のある人は、いろいろと考えてみましょう。でわ。
posted by 野安 at 21:50| Comment(16) | TrackBack(0) | 雑談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
ゲームの『面白さ』の歴史、興味深く読ませて頂いてます。

確かに、マリオ等のアクションでも、残機といったら3ですね。
3機あったらそれぞれ
1:どうしたらミスになるのかも分からない
2:ルールは分かったし、ミスしてもオッケー
3:ミスするわけにはいかない
と、状況の違いが生まれますよね。
4や5に設定しても、2番目の猶予期間が延びるだけ。
だから3機に設定するのは…と、この辺で思考が停止しています。

興味はあっても、自分で考えるとなると中々難しいですねー。
Posted by ウエキ at 2005年09月13日 23:21
>ウエキさん
 謙遜されていますが、きわめて正しく推論していると思います。「1:どうしたらミスになるのかわからない」は、まぎれもなく正解です。あとは、なぜ2機ではなく、4機でもないのか、を考えていけばいいのです。
 あるいは、ロールプレイングゲームや、「テトリス」などの落ちゲーが、なぜ残機制ではない(つまりミスしたら、それで終わりである)のに、ストレスにならないのかを考えていくのもいいと思います。
Posted by 野安 at 2005年09月15日 03:25
インベーダーはゲームセンターのゲームなので

あんまり長くプレイされると困るから。
では、ないでしょうか?
Posted by at at 2005年09月17日 02:45
>atさん

 プレイの長さは、難易度の増減で調整できます。自機を増やしても、難易度を上げればいい。それなら、プレイ時間は変わりません。
 にもかかわらず、シューティングゲームの自機は「3が基本」なのです。ここが、なんとも興味深いところなのです。
Posted by 野安 at 2005年09月17日 23:52
物語は古今東西問わず3回繰り返すのが基本。
と昔現国の教師が言ってました。
神話も童話も演劇も変わらないとか。
同じような話や事件、シチュエーションが3度繰り返されるそうです。
人の記憶と何か関係あるのかもしれませんね。
Posted by TM at 2005年09月19日 10:35
>TMさん

 その意見、なかなか興味深いですね。なんらかの書籍に載っているような、有名な説なのでしょうか? もしそうなら、ちょっと読んでみたいです。
Posted by 野安 at 2005年09月20日 05:22
起承転結のリズム
という説を提唱してみたり。

起:ゲームスタート
承:必然としての死
転:想定外の死
結:ゲームオーバー

なんとなく、収まりがいい。
なんとなくって時点で正解ではありえないけどw。
Posted by GiGi at 2005年09月20日 06:17
ところでテトリス等が残機制でないのは
ゲームオーバーまでの猶予が常に存在するからでしょうね。

シューティングにおける残機0=テトリスで上辺ギリギリまでブロックが積みあがった状態

という感じで。

まれに出来の悪いファミコンゲームでライフ制かつ残機制というものがあったりしたけど、冗長でつまらなかった覚えがあるなあ。
Posted by GiGi at 2005年09月20日 06:24
「敵に当たる」「敵の撃った弾に当たる」といった具合に、ミスと判定される要素が複数あるせいでしょうか?
Posted by Plus09 at 2005年09月20日 12:31
RSSリーダーで見ていたので、コメントで話し進んでいたのに気づきませんでした(^^;

それはさておき、私もTMさんに近い考えで、仏の顔も三度とか、三人寄れば・・といったことわざの類で三という数字はなぜか収まりがよいのも理由かなと感じておりました。

ただ、何故収まりがよいのかというのは理論とかそういった物は見あたらないですね。

一応wikipediaで見てみましたけども、それらしき理由は見つからないですね。
一応「反復や持続の意味では、3 が用いられる事が多い。」という記述はありましたが。

ゲームの初期残機数も気になりますが、こちらもちょっと気になりますね。
Posted by テトラン at 2005年09月21日 01:59
うろ覚えで、正確ではないですが、
”人間が数えずに認識できる数字が3まで”だからでしょうか?

そうなら、残機の確認とかもスグできますし…
Posted by アズマヴェト at 2005年09月21日 22:04
 野安です。
 ただいま海外滞在中のため、反応が遅れます。ご了承ください。

>GiGiさん
 >ところでテトリス等が残機制でないのはゲームオーバーまでの猶予が常に存在するからでしょうね
 はい。その通りだと思います。
 でも、起承転結説も、面白いです。

>Plus09さん
 ご名答!
 残機の数は、じつはミスのバリエーションとの相関関係があるのです。


>テトランさん
 なぜ、収まりがいいのかは、あまり理論立てられてないかと思います。
 とりわけ、ゲームの心地よさに関しては、それを理論立てるのは、
 今を生きている、私たちの仕事でしょう。

>アズマヴェトさん
 >人間が数えずに認識できる数字が3まで
 それ、ホント?
 野安には初耳です。ソース希望。
Posted by 野安 at 2005年09月22日 13:08
ごめんなさい。
ネットで探してみましたが、ソースも発見できないどころか、
どうやら、”数字をあらわす言葉として1と2しか持たない部族”(3つ以上の物がわかり辛い)
の話をどこかで聞いたのを、ごちゃ混ぜて思い込んでしまったようです。

もっと落ち着いて考えて書かないとダメですね…
ホント、ゴメンナサイ。

Posted by アズマヴェト at 2005年09月23日 00:10
>残機の数は、じつはミスのバリエーションとの相関関係があるのです。

なるほど〜。となると、3機が適正でないゲームも多数あり得るわけですな。

死に様の多様さといえば例えば”スペランカー”なんかを想起するわけですが、たとえばこのゲームの残機が3でなく9だったりしたら、死に様を理不尽だと感じる人も少なくなるのかな?

PSで”ABE A GO GO”という、これまた多彩な死に様を誇るゲームがあるのですが、ここに至っては残機の概念がありませんね。当然、どのような死に様を見せても理不尽さはなく、むしろ今度はどんな死に方をさせられるのかとワクワクするくらいでしたねw。
Posted by GiGi at 2005年09月23日 07:45
>GiGiさん
>となると、3機が適正でないゲームも多数あり得るわけですな。

 はい。ありえます。
 とはいえ、黎明期に3機が基本になったため、逆に「ミス(死に方)」のバリエーションが2種類以内に限定しながら、ゲームは進化せざるを得なかった、と考えてもいいでしょう。

Posted by 野安 at 2005年09月24日 12:40
過去に、ビデオゲ-ムの3機設定はピンボ-ルの3球設定に由来していると聞いた事があります。
また、今は懐かしいゲ-ムセンタ-あらしという漫画の中で、
1.唐突にミス
2.ミスへの対処(原因究明と対策)
3.乗り越える(ミスるとゲームオーバー)
というくだりがあるのですが、これが一番理由としてはわかりやすくスッキリまとまっている気がしますね。
Posted by すいうえお at 2005年10月21日 21:18
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