2005年08月19日

固定画面ゲームの進化[その4]

 1980年の「パックマン」を経て、ゲーム愛好者たちは「凄いシーンを見たい」「凄いシーンを見せ付けたい」と願うようになりました。

 その結果、ゲーム愛好者たちは、それまで脈々と続いていた「敵を全滅させる=面クリア」というルールを、やや古臭く感じるようになりました。「スペース・インベーダー」は、55発撃たなければクリアできませんし、「パックマン」は迷路をすべて移動しないとクリアできません。上手いプレイヤーでも、面クリアに最低限の時間がかかります。これは「より早く先を見たい!」という心理と相容れなかったのです。

 テレビゲームは、「全滅」にかわる、新しい形の「成功=面クリア」の方法を求められることになりました。「まだ見ぬシーンを見たい」という欲求を叶えるための、「上手くなるほど、より早くクリアできる」というルールが必要となったのです。

 こうして、「ゴールに到達すると面クリア」というゲームが登場します。その代表は1981年製作の「ドンキーコング」でしょうか。敵を全滅させる必要はない。敵からは逃げればいい。そしてゴールまで到達すれば面クリア! というゲームです。1〜4面まで、まったく違う形状の面が用意され、「どんどん新しいシーンが見られて、嬉しい!」という感情を与えるゲームでもありました。上手い人は、猛スピードでクリアするという「神業のようなプレイ」が可能で、どんどん先の面を見られるようになっていました。

 ゲーム愛好者たちは、この新しい形の「成功」を受け入れました。これにより、「上手い人が、より早くクリアできる」という時代が到来します。以降、ゴールを目指すゲームが固定画面ゲームの主流になり、「全滅」を目指すゲームは、ゆっくりと下火になっていくのです。




 その後、「全滅」を目指すゲームは、完全に消え去ったのでしょうか?

 いいえ。「閉ざされた空間」の中で「敵を全滅させる」という楽しさは、いまなおゲームの中に生き残っています。いたるところで目撃できます。たとえば、シューティングゲームやアクションゲームなどで、ボス戦になると「固定画面」になるのは、その名残りといっていい。「画面が固定される」=「その場から出られなくなる」という環境を用意することで、「死にたくなければ、全滅させろ!」という、ゲームセンターの時代のルールを復活させています。

 RPGもそう。多くの国産RPGでは、戦闘に入ると画面が切り替わり、逃げ場のないシーンが用意されます。そして敵を「全滅」させると、経験値やアイテムなどの「ご褒美」が得られるようになっています。これを何度も繰り返すことで、プレイヤーを楽しませているのです。(固定画面においては、全滅させることこそが「成功」であり「気持ちいい」ことなので、全滅させずに逃げた場合、経験値などの「ご褒美」は得られないことが多いのです)

 閉じ込められると、全滅させたくなる。
 全滅させると、気持ちいいと感じる。

 ゲームセンターの頃に発見された面白さは、それから20年以上たった今も、テレビゲームの中に息づいてます。これは、どれだけゲーム機が進化しても、延々と生き残り続けるでしょう。



 さて。固定画面ゲームの進化の歴史は終わっても、もちろんテレビゲームの歴史は終わりません。「より早く先を見たい!」という動機をかなえるため、「ゴールを目指す」という新しい形の「ご褒美」を発見したテレビゲームは、それを軸にして、次なる進化をスタートさせます。

 テレビゲームは、ついに固定画面を捨て、画面がスクロールする時代へと突入します。これにより、テレビゲームは劇的な変化を遂げることになるのですが、それはまた、別の機会に。

[この項、終わり]
posted by 野安 at 21:35| Comment(5) | TrackBack(0) | 固定画面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月18日

固定画面ゲームの進化[その3]

 「パックマン」には、現在でも使用されている、2つの新しい「ご褒美」の形が提示されています。

 ひとつは「パックマン」を面クリアしたときに登場する、ミニコントのようなデモ画面です。ゲーム愛好者たちは、このデモ画面を見て、喜びました。それは単純に楽しいものであったし、それ以上、自分が面クリアしたことを祝福されたような気分になれたからです。耳に残る音楽とともにデモ画面が始まると、ゲームの周囲にいた人たちから、「お、○面をクリアしたのか」という眼差しを向けられることもありました。それもまた、嬉しさを増幅させました。

 これこそが、「パックマン」が初めて採用し、以降のテレビゲームで普遍的に使用されるようになった、新しい形の「ご褒美」です。プレイヤーが「成功」して、「気持ちいい」と感じたときに、そのドンピシャのタイミングで「おめでとう!」という気持ちを感じさせるデモ画面を用意する、という手法ですね。

 脱衣マージャンで勝利したときに女性キャラが服を脱ぐのも、RPGの戦闘が終わったときファンファーレ(のようなSE)が流れるのも、基本的には同じことです。それらは、すべて「成功」に対する「ご褒美」なのですね。「気持ちいい」と感じる瞬間に「ご褒美」があると、わたしたちは嬉しく感じるのです。

 「パックマン」は、こういった形の「ご褒美」を用意した初のゲームでした。だからこそ、わたしたちは「パックマン」をプレイするとき、「先の面を見たい!」という気持ちを、より強く持つようになったのです。そして、ハイスコアを出した人も凄いけれど、スコアは低くても、先の面まで到達できた人も凄いよ! と思うようになっていったのです。




 「パックマン」が提示した、もうひとつ「ご褒美」は、さらに斬新なものでした。

 「パックマン」は、迷路を移動するゲームです。その最大の攻略法は、「より正しい手順でパックマンを移動させること」に尽きます。いったん、ミスせずにクリアできる手順を知ってしまえば、その手順を踏襲するだけで、ミスすることなく、どんどん先の面へ進めるようになっているからです。

 どうやって正しい手順を知ればいいのでしょう? カンタンです。より上手い人のプレーを見ればいいのですね。上手い人のプレーぶりを見て、その手順を覚えるこそことが、「パックマン」の最大の攻略法でした。「パックマン」とは、「上手くなりたいのなら、他人のプレーを見るべし!」というゲームなのですね。

 そこで、ボーナスフルーツが大きな意味を持つことになりました。

 「パックマン」では、画面の中央に、チェリーやオレンジ、リンゴなどのフルーツが登場します。このため、他人がプレイしているゲーム画面を覗き込んだとき、「あ、リンゴが出てるってことは、8〜9面まで来てるんだ」と、一発で理解できます。「8〜9面は、このような手順で移動すればいいのか」と学習できるのです。「スペース・インベーダー」をプレイしているのを見ても、それが何面なのか瞬間的にわからないことと比較すると、これは大きな変化でした。

 プレーしている側にしてみると、「ほら、オレはもう○○のフルーツを出す面にいるんだぞ!」と、心の中で自慢しながらプレーできる、ということです。これまでのゲームでは、上手い人がいても、「○○点をとった」という形で、ゲームの結果だけしか評価されませんでしたが、「パックマン」は違うのです。「パックマン」は、「プレー」そのものを、リアルタイムで注目したくなるゲームなのですね。

 このことが、新しい「ご褒美」を生み出しました。

 だって、そうでしょう? 上手い人の周囲には、どんどん人が集まるのです。難しい面をクリアしたときなどには、「おぉっ!」というどよめきが周囲から聞こえるのです。つまり「パックマン」というゲームは、いいプレーをすればするほど、「他人からの賞賛」という「ご褒美」を得られるゲームだということです!

 このように、「周囲からの賞賛」という「ご褒美」を得られるゲームは、ゲームの歴史上、たぶん「パックマン」が初めてでしょう。これにより、テレビゲームは、「プレー」するだけのものでなく、「見る」「見られる」「見せ付ける」ことを楽しめる娯楽へと、大きくジャンプアップすることになったのです。その歴史的意義は、とてつもなく大きいと思います。




「ゲームは、ひとりで没頭する孤独な遊びだ」

 という悪口が、1980年代に、よく聞かれました。たしかに「スペース・インベーダー」が大ブームだったときの資料写真などを見ると、整然と並んだゲーム機1台につき1人ずつ、ゲーム愛好者たちが没頭している姿を確認できます。なるほど、たしかに孤独な遊びに見えます。

 しかし、現在のゲームセンターに行くと、そこに巨大なスクリーンが用意されているのは珍しくありません。そこで他人のプレイ画面を眺めることが可能です。つまり「上手い人のプレーを眺める」という楽しみ方が、ごく当たり前のように根付いているのです(上手い人にとっては、「自分のプレーを見せる」という喜びがあるわけですね)。テレビゲームは「遊ぶ」だけのものではなく、「見る」「見るれる」「見せ付ける」ものになっていることの、何よりの証明でしょう。

 その変化の契機となったのが「パックマン」なのです。「パックマン」が持つ最大の歴史的価値は、ここにあるといってもいい。

 「パックマン」以降、ゲーム愛好者の中には、より「凄いシーンを見たい」「凄いシーンを見せ付けたい」という心理が高まっていきました。そして、この心理が、テレビゲームに次なる進化を促していくのです。

[この項、後日に続く]
posted by 野安 at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 固定画面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月17日

固定画面ゲームの進化[その2]

 1980年に登場した「パックマン」は、瞬く間にゲーム愛好者たちの心をつかみました。

 黒を基調としたゲームが多かった中、突如登場したカラフルな画面。シンプルながら、愛着を感じずにはいられない魅力的な主人公。4色に色分けされ、それぞれ行動パターンの違う敵キャラクター。そこで展開する、1対4の「おにごっこ」を思わせるスリリングなアクション。そして迷路の散らばっている無数のドット(点)を食べていき、食べつくすと面クリア! という単純きわまりないルール。それらの、あるゆる楽しさを、すべて「移動する」というひとつのアクションで実行できるという単純明快さも素晴らしい点でした。「パックマン」は日本のみならず、世界中のゲーム愛好者を熱狂させました。ゲームセンター時代のゲームとして、これをナンバーワンに挙げる人も少なくありません。

 しかし「パックマン」は、世界的大ヒットゲームである「スペース・インベーダー」の基本構造を、きわめて忠実に踏襲したゲームであることは、けして忘れてはいけません。「撃つ」と「食べる」の違いはありますが、どちらも「障害物を全滅させると、気持ちいいぜ!」という部分を刺激するゲームだからです。

1:敵を全滅させると面クリアとなる
2:クリアに関係ないけれど、高得点を取る方法がある

 これが「スペース・インベーダー」の基本構造でした。「パックマン」では、全滅させるべきものとして「敵」が「ドット」に置き換えられ、クリアに関係ないけれどスコアを稼げるものとして、「UFO」が「フルーツ」に置き換えられていることがわかります。だから「スペース・インベーダー」と同様に、より早い面クリアを目指してもいいし、得点を稼ぐことに力を入れてもよくなり、そのバランスをプレイヤー各自で調整できるようになり、プレイヤーに飽きられにくくなっていました。過去の大傑作ゲームの基本構造を受け継ぎつつ、その上に「食べる」「逃げる」などのアイディアを足したからこそ、「パックマン」は世界中で愛されたといっても過言ではありません。



 基本構造を踏襲したからといって、「パックマン」は「スペース・インベーダー」をパクったのだ! と言っているわけではありません。それを言い出したら、すべてのテレビゲームは「スペース・インベーダー」のバクりになってしまいます。なにしろゲームの基本構造そのものは、現在でも、ほとんど変化していません。あらゆるテレビゲームは、その要素を細かく分解していけば、「成功」と「ご褒美」の組み合わせによって、プレイヤーに楽しさを与えているからです。

1:プレイヤーが、「成功したぜ!」と感じる
2:プレイヤーは、そのことが「気持ちいい!」
3:プレイヤーに、そのとき「ご褒美」が与えられる

 テレビゲームは、すべて「スペース・インベーダー」の頃に作られた、このフォーマットに則って作られています。いや、むしろ逆かもしれません。このフォーマットに則っている娯楽のことをテレビゲームというのです。あとは、どのような形での「成功」を用意するのか、どのような「ご褒美」を与えるのか、そのバリエーションおよび組み合わせによって、新作ゲームは作られています。「スペース・インベーダー」以降のテレビゲームの歴史とは、「成功」と「ご褒美」のバリエーションを、いかに増やしていくかを競う歴史なのだ! と断言してもいいでしょう。

 さて。「スペース・インベーダー」と「バックマン」は、その基本構造が同一であることを説明しましたが、100%まったく同じだったかというと、じつは、ちょっとだけ違うところがありました。細部に目を向けると、「パックマン」の中には、「成功」と「ご褒美」のバリエーションを増やすための萌芽が、静かに誕生していることが発見できるのです。

 それが、ボーナスフルーツです。
 さらに、面クリアしたときに表示されるデモ画面です。

 この2つが、テレビゲームに、新しい形の「成功」と「ご褒美」をもたらすことになります。そして、テレビゲームの新しい扉が開いていくのです。

[この項、後日に続く]
posted by 野安 at 18:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 固定画面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月16日

固定画面ゲームの進化[その1]

 1978年に作られた「スペース・インベーダー」の大ヒットを受けて、日本はテレビゲーム大国へと歩みだします。さまざまなヒットゲームが登場し、ゲームセンターを賑やかせるようになりました。

 「スペース・インベーダー」の直接的な後継ゲームは、翌1979年に作られた「ギャラクシアン」でしょう。「画面上の敵を撃つ」という基本部分を踏襲しつつ、敵の動きを複雑化させ、「スペース・インベーダー」に飽き足らなくなった腕自慢たちに愛されるゲームとなりました。

 ひとつのヒット作が作られると、それを複雑化させるゲームが登場する、という流れは、ここから始まります。より難しいゲームを求める腕自慢たちの期待に応えるため、より複雑化・高速化したゲームが作られるようになるのです。一度ゲーム愛好者になった人たちを、手放さないための正しい対応といえましょう。21世紀になった今も、同じような対応が、延々と続けられています。


 そんな中、違う発想で作られたジャンルも登場しました。


 古典的ゲームを分析してみると、その多くが「全滅」を目的としていることがわかります。「ブロック崩し」は、画面上のブロックをすべて消去していくゲームですし、「スペースインベーダー」はインベーダーを全滅させるゲームです。

 ゲームセンターの時代には、そのようなゲームが強く愛され、ヒットしていたのです。ゲーム愛好者たちは「全滅させる=画面上をスッキリさせる」ことを、気持ちいい、と感じていたことがわかります。

 これは、ジグゾーパズルを埋めたくなるのと似た心理かもしれません。数ピースが空いているジグゾーパズルは、なんとなく気持ち悪いのです。キッチリと埋めたくなる。そうして枠の中の絵を完成させることを、わたしたちは気持ちよく感じます。ゴミが散らばっている部屋を、ピカピカに片付けると、ちょっと気持ちいいし、お皿の上にある料理をたいらげると、ちょっと気持ちいいのも、同じ心理かもしれません。わたしたちは、目の前をキレイにすることを、気持ちいいと感じるのです。

 しかも、テレビゲームにおいては、敵を「全滅」させれば、次の面がスタートします。つまり「全滅」させることは、「より長くゲームを続ける権利を得る」というご褒美と直結しています。この相乗効果により、ゲーム愛好者たちは、画面にないの敵(や障害物)を「全滅」させることを、気持ちいいと感じていたのでしょう。
 
 そこで、テレビゲーム界では、「全滅」させるためのバリエーションを増やす競争をスタートさせます。

 「ブロック崩し」は、ボールを「当てる」ことによって、敵を全滅させていました。「スペース・インベーダー」は、「撃つ」ことによって、敵を全滅させていました。しかし、そもそも「当てる」とか「撃つ」といいうのは、遠くに離れた敵(などの障害物)を消しているわけですから、やや間接的な「全滅手法」といえます。じつのところ、あまり直感的でアクションではありません。

 もっともっと、違う全滅手法はないだろうか? より直接的な「全滅手法」はないだろうか? 直感的に、どんどん邪魔なモノを消していく、というゲームは作れないだろうか?

 それは、すぐに作られました。

 こうして「ドットイート」というジャンルが登場します。画面上にあるドットを、自らが踏む(あるいは食べる、取る)ことによって全滅させていくゲームです。これ異常ない、きわめて直感的な全滅手法が誕生しました。

 元祖となるのは「ヘッドオン」(セガ)あたりでしょうか。そしてその後、ドットイートというジャンルは世界を席巻することになります。1980年、はやくもドットイートゲームの頂点が登場してしまうからです。

 それが「パックマン」です。
posted by 野安 at 13:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 固定画面 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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