2005年09月03日

PCゲームの誕生[その4]

 1980年代半ば。テレビゲームを源流とする歴史と、パソコンゲームの歴史は、日本で激突します。

 そうして登場したのが、「ポートピア連続殺人事件」です。テキストと挿絵によって物語を進めるという、パソコンゲームならではのスタイルのゲームです。そして翌1986年には、RPGである「ドラゴンクエスト」が、ついに日本に登場するのです。

 しかし、これはパソコンゲームを、そのまま日本に持ち込んただけではないのです。むしろ逆だと考えていい。パソコンゲームのスタイルをこそ持ち込んでいますが、その根っことなるエッセンス部分は、きれいさっぱりと捨て去っている。それこそが、この両作品の特徴です。

 たとえば、そこからは、ゲームマスターの存在が、バッサリと消し去られています。「ポートピア〜」は、相棒のヤスの言葉によって、物語が説明されました。「ドラゴンクエスト」は、街の人々のセリフによって世界が説明されました。そこには、世界を描写するという立場に立つ者はいないのです。

 「みんなで遊ぶもの」という概念もありません。これらは1人で遊ぶゲームとして設計されています。そして、がんばると「成功」があり、それにともなった「ご褒美」があるようになっています。パソコンゲームの流れを汲んだスタイルでありながら、ゲームセンターを源流としていたゲームが持つ構造を、同時に受け入れているのですね。(これについては、別項で説明します)。



 まだまだあります。パソコンゲームには、もともと「善と悪」という分類がありません。これはウォーSLGを母体としている文化であり、たとえ対立する勢力があっても、どちらかが正しいわけではない、という考えがあるからです。いまでも、海外ゲームでは、善が悪を倒す、という物語が少ないのは、そのためなのです。しかし「ドラゴンクエスト」は、最初から堂々と善と悪の対決を描いていることは、みなさん、よくご存知のとおりです。

 また、もともとのRPGは、無名の人物を主人公とする物語でした。みんなで世界を共有する遊びから始まった文化であり、ゆえに参加者は特別な立場ではなく、ワンオブゼムに過ぎないからです。しかし「ドラゴンクエスト」は違う。主人公は世界を救う特別な人物でした。そして悪を滅ぼすという完結する物語が用意され、それを成し遂げるための、起承転結が用意されたのです。

 他にも例はあげられるのですが、このへんにしておきましょう。この両ゲームが、パソコンゲームの形を受け入れつつ、しかしパソコンゲームの歴史に根差した残されている骨格部分を、きれいさっぱりと捨て去っていることは、おわかりになったと思います。



 そこには、このような大胆なアレンジがあったのです。だからこそ、パソコンゲームを源流とするゲーム文化と、ゲームセンターを源流とするゲーム文化が、プレイヤーに違和感を感じさせることもなく、きちんと融合することになりました。(もっとも、こうして根っこの部分をしらないままRPGに触れてしまった日本のユーザーが、海外ゲームに対する無理解を生む結果になるのですが、それはまた、別の項で説明しましょう)。

 いずれにせよ、これにより、日本のゲームは、世界で唯一、「すべてのゲーム文化を飲み込む」ことに成功します。異文化を受け入れたファミコンが、子供から大人まで巻き込む、とてつもないムーブメントを引き起こしたのは、ご存知のとおりです。いまから、およそ20年前のことでした。

[この項、いったん終わり]
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2005年09月01日

PCゲームの誕生[その3]

 1970年代後半。とある研究所で、「ADVENTURE」というゲームが登場します。

 テキストによって状況が説明され、プレイヤーがそれに対応することによって、物語を進めていくゲームでした。いまでいうアドベンチャーゲームの原点です。というより、このゲームの名前が、そのままジャンル名になったと考えたほうがいいかもしれません。

 ボードゲームの歴史を追ってきたみなさんには、これがRPGの発展形であることが、すぐに理解できたと思います。「ゲームマスターの言葉によって世界が説明され、プレイヤーが返答することによって物語が進む」というシステムが、「コンピュータのテキスト表示によって世界が説明され、プレイヤーが応答することで物語が進む」というシステムへと、置き換えられているわけです。このゲームこそが、RPGにおけるゲームマスターの役目を、コンピュータに任せることにした、初のゲームでしょう。

 これは「個人で楽しむゲーム」ではありませんでした。いまでいうネットワーク対応です。いずれインターネットへと発展していくことになる、広域ネットワーク・システムの中に用意されました。多くの人が、ネットワークを介してゲームに接し、ネットワーク内で絶大な人気を獲得したといわれています。ゲームマスターが、複数のプレイヤーに物語を説明するのと同じことが、コンピュータ+ネットワークという環境下で、行われていたのです。

 当時、コンピュータは高価であり、貴重でもあり、個人が所有するようなものではありませんでした。コンピュータは、大学や研究所などに置かれていて、みんなが共有するものだったのです。「みんなで共有するもの」だったからこそ、「みんなで遊ぶ」というボードゲームの遺伝子を引き継いでいたRPGは、コンピュータとの親和性が高かった、と考えてもいいでしょう。

 その証拠に、21世紀になったいま、RPGは次々とオンライン化され、みんなでひとつの世界を楽しむようになっていますよね? そこでの交流を楽しむというスタイルへと発展していますよね? これは、なんら「新しい形」ではありません。いわば、先祖がえりです。RPGは、もともと「みんなで遊ぶ」「会話を楽しむ」という文化の上で誕生し、そういう場での「面白さのエッセンス」を脈々と受け継いでいるジャンルなのですから。



 話を戻しましょう。1970年代後半。安価な個人向けコンピュータ(パソコン)が普及します。1976年にはAPPLE社が設立され、翌1977年には、グラフィック描画能力のあるAPPLE IIを発売します。これ以降、テキストだけではなく、挿絵付きのアドベンチャーゲームが登場するようになります。1980年代になると、ゲームはよりグラフィカルになり、きれいに描かれた世界の中を、キャラクターが移動するようなゲームも登場します。

 パソコンゲームでは、グラフィックの強化は、「世界を、より詳しく説明するため」に活用されていきました。優れたグラフィックを利用することで、ゲーム内の世界を、より精緻に描写しようと進化していくのです。優れたゲームマスターが、優れた「会話」によって世界を説明するのと同じように、「より詳しく状況を説明するため」にこそ、コンピュータの性能上昇が活用されたのですね。パソコンゲームの進化の歴史とは、「世界を描写することを進化させる」歴史だといってもいいでしょう。

 じつは、これが、ゲームセンターを源流とするゲームと、パソコンゲームとの、最大の違いです。ゲームセンター源流のゲームでは、何かを成し遂げたときに、「凄いグラフィックを見せる」――といった形で、つまりグラフィックを「ご褒美」として機能させようとしました。一方、パソコンゲームでは、グラフィックは、世界を説明するためにこそ、使用したのです。グラフィックの活用法が、まるで違っているのですね。(じつは、この違いこそが、現在の「海外ゲーム」と「国産ゲーム」のテイストの違いに直結するのですが、それについては、別の項で説明します)。



 1980年代。ついに、本格RPGが、パソコンゲームとして登場します。1980年には「Ultima」が、1981年には「Wizardry」が登場し、ヒットシリーズへと成長していくのです(注:これは商業版ソフトの発売年。それ以前にも非商業ソフトとしては存在していたようです)。

 これらのコンピュータRPGはヒットを記録。もちろん日本でもプレイされるようになりました。数値化されたパラメーターの増減を楽しみつつ、物語を追っていくというゲームが、日本に飛び込んできました。これに影響を受けた人たちが出てきました。

 これにより、ついにパソコンゲームの「面白さのエッセンス」と、ゲームセンターを源流とするテレビゲームの「面白さのエッセンス」が、ファミコンというマシンの上で、激突することになるのです。

[この項、後日に続く]
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2005年08月31日

PCゲームの誕生[その2]

 1950年代。「TACTICS」という名の、一風変わったボードゲームが誕生します。

 これは、現在でいうところのウォー・シミュレーションゲーム(以下・ウォーSLG)の原点にあたるゲームです。ウォーSLGとは、「ミニチュアの兵器をコマにした、将棋やチェスのようなゲーム」のこと。戦場を模したボードに、小さな兵器のミニチュアなどを配置し、敵軍を打ち負かすことを目的とするゲームです。

 じつは、これこそが、テレビゲームの源流のひとつです。「ユニット(兵器)の能力を数値化する(パラメータ化する)」という概念や、「ユニットが接触したら戦いになる」というルールは、ここで登場しているようです。現在のテレビゲームで、当然のように使われているルールのいくつかは、ここを起源とすると考えていいでしょう。

 ウォーSLGは、オトナこそが楽しめるボードゲームとして、じわじわと人気を高めていきました。そして、その時点での最新兵器を忠実に再現したものや、歴史上の戦争をモチーフにしたものなど、さまざまなバリエーションが作られるようになり、静かなムーブメントを起こしていくのです。



 1960年代の半ば。ウォーSLGに、大きな影響を与える社会現象が発生します。世界的ベストセラー「指輪物語」が、アメリカに上陸したのです。そこで描かれる、剣と魔法のファンタジー世界や、人間やエルフ、ホビットなどの複数の種族たちによる魅力的な物語は、アメリカの若者たちを強く刺激しました。さまざまなファンタジー物語が作られたのみならず、そのムーブメントは、ボードゲームの世界にも影響を与えることになるのです。
 
 それは、不思議な化学現象を起こしました。ファンタジー世界を舞台にしたウォーSLGが作られただけではなく、まったく新しいタイプのボードゲームを誕生させてしまったのです。ウォーSLGのように、戦争の指揮官としてコマを動かすのではなく、プレイヤー自身がファンタジー世界の登場人物になり、その世界での冒険を楽しもう! というゲームが誕生したのです。

 こうして誕生したのが、ロールプレイングゲーム――すなわちRole(=役割)をPlay(=演じる)するGame(=ゲーム)です。諸説ありますが、一般的には、1974年に発売された『Dungeons&Dragons』が、その元祖だといわれています。以降、さまざまなバリエーションのものが作られ、RPGは進化・発展を遂げていくことになります。

 当時のRPGとは、会話によって物語を進行させるゲームでした。ゲームマスターの問いかけに対し、プレイヤーが返答し、サイコロの出た目によって結果が変化し……といった手順で物語は進みます。そのため、日本ではテーブルトークRPGと呼ばれていました(欧米ではテーブルトップRPG、あるいはペンシル&ペーパーRPGと呼ばれます)。

 このゲーム、日本のゲーム愛好者にとって、かなり特殊な遊びだよなぁ、と思われがちです。わざわざ「みんなで集まる」必要がありますし、しかも「会話によって遊ぶ」といったあたりが、あまり一般的な遊びではないよなぁ、と感じさせる要因かもしれません。

 しかし、それはまったくの見当違いなのです。歴史を考えれば一目瞭然。「モノポリー」が1930年代に作られていることからもわかるように、そこには、みんなで集まって「ボードゲームを遊ぶ」という文化がありました。だからこそ、むしろ「みんなが集まったときに楽しいもの」があるといいなぁ、「そこで会話を弾むような楽しいゲーム」があるといいなぁ、という欲求があり、それに応えるようにして、ウォーSLGや、RPGは誕生しているのです。RPGが、「みんなが集まって遊ぶ」「会話によって物語が進む」というスタイルになったのは、むしろ当然の帰結なのですね。



 話を戻しましょう。じわじわと人気を高めていったRPGですが、そこには欠点もありました。RPGでは、ゲームマスターと呼ばれる人間が、他の参加者(プレイヤー)のためにシナリオを用意し、ゲームを運営・管理することになります。つまり、優れたゲームマスターさえいれば、血湧き肉踊る物語を作り出すことが可能となり、半永久的に楽しめるのですが、その反面、優れたゲームマスターがいなければ、楽しさが半減してしまうという欠点を持っていたのです。

 しかし、その欠点を補うかのように、時代は、強い追い風を吹かせました。時代は1970年代でした。すなわち、いままさに、コンピュータが一般化しつつある時代だったのです。だったら、コンピュータにゲームマスターを任せてしまえばいい! そう考える人が出てきたのです。

 こうして、ゲームセンターとはまったく違う源流を持つ、もうひとつのテレビゲームの歴史がスタートします。その第1号は、「アドベンチャー」というゲームだったといわれています。

[この項、後日に続く]
posted by 野安 at 18:26| Comment(3) | TrackBack(2) | PCゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月30日

PCゲームの誕生[その1]

 テレビゲームの歴史とは、「面白さのエッセンス」を、受け継いていく歴史です。

 なぜなら、テレビゲームは、大衆のための娯楽商品だからです。大人気になったゲームがあるということは、そのゲームが持つ「面白さ」に共感した人が多いということ。その後、さまざまなゲームが世の中に登場したとしても、そのゲームが持っていた「面白さのエッセンス」を受け継いだ作品こそが、ふたたび多くの人の共感を得ていくことになるのです。

 ゲームの作り手が、同時にゲームの遊び手であることも、忘れてはいけません。彼らは、ゲームを「面白いっ!」と感じたからこそ、「同じように面白いもの」や、「より面白いもの」を作ろうと努力します。そして、自分が体験したゲームの「面白さのエッセンス」を引き継ぎ、より改良されたものを産み出していくのです。

 これは、テレビゲームにかぎった話ではありません。大衆向けの娯楽作品全般で、まったく同じことが起きていると思われます。大衆向けの娯楽作品では、過去の名作のエッセンスを引き継ぎ、改良・進化を重ねるという歴史が、積み重ねられることになるのですね。

 このBlogで、テレビゲームの歴史を追いながら、それぞれのゲームを年代順に説明しているのは、そのためです。ゲームを単体で眺めても、そのゲームが持つ歴史的価値は見えてきません。そのゲームの前には、どんなゲームがあったのか? どの部分が受け継がれ、どの部分が進化・発展しているのか? それらを洗い出すことでこそ、テレビゲームが、どのように進化・発展してきたかが見えてくると考えているのです。



 さて。8月8日(月)から、長期にわたって、「スペース・インベーダー」から始まった大衆向けテレビゲームの歴史を、ひも解いてきました。さまざまなゲームが、「スペース・インベーダー」が持っていた「面白さのエッセンス」を引き継ぎながら、環境に合わせて改良され、そして改良された部分のエッセンスを次のゲームに引き継いでいき……という手順を踏みながら、ファミコン初期の名作「スーパーマリオブラザース」へと進化していったことを、説明してきました。

 本来ならば、このまま歴史を追いながら、その後の人気ゲームについて、年代順に説明していくべきなのかもしれません。しかし、残念なことに、それは不可能です。1980年代半ば、テレビゲームに、ひとつの事件が発生するからです。

 おおげさにいうならば、それは、まったく違う文化を持つ2つの民族の激突でした。ファミコンという大地で、2つの民族が激突し、入り乱れるようになったのです。2つの川が、ファミコンという名の平野で合流し、さらなる大河になったのだ! と考えてもいいでしょう。



 そうなのです。現在、わたしたちが見ている「テレビゲームという名の大河」は、2つの源流を持っているのです。それぞれの源流から湧き出した水が、大きな川となり、それらが合流することによって作られているのです。

 なので、「スペース・インベーダー」から始まった、ゲームセンターを起点とするテレビゲームの歴史に関する説明は、ここで、いったん止めることにしましょう。

 わたしたちは、ふたたび時代を遡り、もうひとつの源流を探す旅に出発しなくてはなりません。時代は、1970年代に遡ります。

[この項、後日に続く]
posted by 野安 at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | PCゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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