2005年08月12日

ハイスコア表示は、なぜ消えたのか[その4]

 「全滅させる」と「スコアを稼ぐ」。

 「スペース・インベーダー」には、2つの「成功」の形がありました。どちらを選んでも、「プレイ時間が長くなる」というご褒美が用意されていました。

 この2つの「成功」を、同時に目指すことはできません。一定の時間がたつとインベーダーが最下段に下りてきて、ゲームオーバーになるからです。タイムリミットがあるため、どちらかを優先せざるを得ないのです。

 そこで、UFOという存在が、大きな意味を持ってきます。

 画面上部を左右に移動するだけの存在であるUFOは、撃ち落とす必要はありません。面クリアを目指すにあたり、無視してもいい存在です。「スペース・インベーダー」の面クリアに必要なのは、5匹×11列のインベーダーを全滅させること。インベーダーを倒したときの得点は、10点、20点、30点の3種類で、全滅させて990点を獲得すれば面クリアが可能です。

 しかし、よりスコアを稼ぎたいのなら、UFOを撃ったほうがいい。「全滅」という「成功」を最優先させるのではなく、「全滅させることとは無関係」な、しかし「得点を稼げる存在であるUFOを撃つ」ことに、力を入れたほうがいいのです。

 UFOの得点は一定ではありません。撃った弾数によって変化します。たしか23発目で打ち落とすと300点という高得点だったはず。ただ撃つだけでなく、「どのように撃つ」かを考えることにより、スコアが変化するようになっていました。



 これらの要素があることにより、わたしたちは、「どのようにプレイするか」を選べるようになりました。ゲームが上手くないうちは、インベーダーを倒すことを優先すればいい。それが「ゲームを継続させる」ための最善手だからです。しかし上手くなってきて、余裕が出てきたらUFOを狙えばいい。より早く、砲台を増やすという「成功」を獲得できるからです。さらに上手くなったら、テクニックを使ってUFOを撃ち、さらに高得点を目指すことも可能でした。

 2つの「成功」が設定されていることにより、プレイヤーの技術(やゲームへの慣れ)によって、ゲームをプレイするときの目標を、各自で調整できるようになったのです。



 もしスコア表示が存在しなかったとしましょう。あるいは存在していたとしても、スコアによって砲台が増えるのではなく、たとえば「2面のインベーダーを全滅させたら、砲台が増える」というルールが設定されていたとしましょう。そうだったとしたら、このようなプレーの幅は生まれません。全員が、ただインベーダーを効率的に倒すことだけを考えたはずです。

 これは、与えられた環境を維持し、ただルーチンワークを続けるという、「ブロック崩し」と同じゲームになります。そこには「インベーダーを全滅させる」という、1種類の「成功」しか存在しないことになるからです。



 しかし「スペース・インベーダー」は2つの「成功」を用意しました。だからプレイ方法に幅が生まれることになったのです。自分の技術にあわせたプレイ方法を選べるようになったのです。初めてプレイした人はインベーダーの全滅に注力し、慣れてくるとUFOを倒すことにも力を入れるようになり……と、プレイするたびに自分自信が「自分に合った難易度のプレイ方法」を目指せる娯楽になったのです。だからこそ、上手くなっても飽きることなく、わたしたちはプレイ没頭してしまったのです。


 プレイヤーが、自分に合わせたプレイ目標を立てられる。それを可能にした初のテレビゲームが、「スペース・インベーダー」なのです。その事実こそが、「スペース・インベーダー」が持つ最大の歴史的価値といっていいでしょう。


 以降のテレビゲームは、いろいろな形での「成功」の形を用意しました。「ドットを消す」ことを成功と位置づけるゲームもありました。「アイテムを集めると面クリア」というゲームもありました。他にも、いろいろなものが登場しています。

 しかし、それらのゲームでは、特定のスコアになったとき、砲台(残機)を増やす、という形での「成功」も用意されていました。必ず、2つめの「成功」の形を用意したのです(そして同時に、クリアには関係なく高得点を取るボーナスも用意されました)。これにより、「スペース・インベーダー」以降のゲームは、「初心者から上級者まで、あるていどの幅をもったプレイヤーが遊べる娯楽」になり、長い期間にわたって楽しめる娯楽として、多くの人に愛されるようになったのです。

 ハイスコア表示とは、なんだったのか? それは、この「2つめの成功」を成立させるために存在したシステムだった、といっても過言ではありません。



 いずれゲームセンターの時代が終わり、家庭用ゲーム機の時代がやってきます。ゲームをめぐる環境は、大きく変化しました。プレイのたびにお金を払うのではないのですから、たとえゲームオーバーになっても、すぐにゲームを再開できます。

 「より長くゲームをプレイする」ことは、「ご褒美」ではなくなりました。同時に「スコアによって残機が増える」ことも、「成功」として位置づけられなくなりました。これにより、スコア表示のないゲームが増えていくことになります。ハイスコア表示があるゲームが、どんどん減っていったのは、そのためです。

 現在のゲームに、ハイスコア表示がないものが多い理由は、ここにあるのです。



 とはいえ。
 しかし、いまなおハイスコア表示が意味を持つゲームも存在します。家庭用ゲームでも、そのようなゲームは存在します。なぜ、ここにはハイスコア表示が残っているのか? ハイスコアが存在することを楽しんでいる人がいるのでしょう?

 じつは、これを説明するには、ちょっとスペースが足りません。いずれまた、別の機会に。

[この項、終わり]
posted by 野安 at 16:23| Comment(4) | TrackBack(0) | ハイスコア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月11日

ハイスコア表示は、なぜ消えたのか[その3]

 「成功」したことにより「ご褒美」がある。

 これが、テレビゲームの基本構造です。「ご褒美」を得られるような「成功」をしたとき、わたしたちは「気持ちいい」と感じます。わたしたちがテレビゲームにハマる理由は、ここにあるのです。

 そんな視点で、「スペース・インベーダー」を見てみましょう。これは画面にいる55匹のインベーダーの全滅を目指すゲームです。全滅させると1面クリアとなり、次の面がスタート。つまり「全滅させる」ことにより、「より長くゲームをプレイする権利=ご褒美」が得られる、という構造になっていることがわかります。「インベーダーを倒すこと(全滅に近づけること)」が「成功」である、と位置づけられているのですね。


 あれ? それって「ブロック崩し」と同じじゃないの?
 すべてのブロックを消せばいい、という意味では同じ構造だよ!


 と思う人もいるでしょうが、ちょっと違うのですね。「ブロック崩し」では、「ミスしない」かぎり、延々とゲームを続けることができました。ブロックを消したかどうかとは関係なく、「ミスせずに打ち返す」ことが、「ゲームを続ける権利を獲得できる」ことに直結していたのです。だから、こちらでは「ミスせずに打ち返す」ことが、「成功」と位置づけられることになります。

 「スペース・インベーダー」は違います。55匹のインベーダーは、ゆっくりと接近してきます。最下段まで到達するとゲームオーバーなります。つまりタイムリミットが設定されているのです。「ミスしない」だけでは、いずれゲームが終わってしまうため、「より長くゲームをプレイする権利を得る」ためには、「敵を撃つ=全滅に近づける」ことが必要になっているわけですね。

 「スペース・インベーダー」には、タイムリミットがありました。だからこそ「敵を全滅させる」ことこそが「成功」として位置づけられ、それによって「ゲームを続ける権利を獲得できる」というご褒美が得られる――という構造になっているのです。わたしたちが、インベーダーを撃つときに「気持ちいい」と感じたのは、そのためです。

 「全滅」させることが「成功」である。

 これが「スペースインベーダー」が成立させた、まったく新しいフォーマットだったのです。そしてそれは、以降のテレビゲームの、基本フォーマットになっていくのです。




 さて。「スペース・インベーダー」が成立させた新しいフォーマットは、それだけではありません。もうひとつ、さらに革命的なフォーマットを成立させています。

 それが、ハイスコア表示です。

 「スペース・インベーダー」には、インベーダーを「全滅」させる以外にも、「より長くゲームをプレイする権利」を得る方法が、もうひとつ設定されていました。「スコアが一定値を越えると、砲台が増える」というルールが用意されていたのです。

 スコアが1500点に到達すれば、砲台が増えました。砲台が増えるということは、「より長くゲームをプレイする権利」を獲得したことにほかなりません。つまり「スペース・インベーダー」では、「スコアを稼ぐこと」も、「より長くゲームをプレイする権利を得るための、ひとつの成功である」と位置づけられているのです。

 ハイスコアという概念を持ち込み、そこに連動して「砲台を増やす」というご褒美を用意したことが、「スペース・インベーダー」というゲームが持つ、最大の歴史的価値といってもいいでしょう。

 なぜなら、それはテレビゲームの歴史において、「スコアを稼ぐこと」が「成功である」と位置づけられた瞬間だからです。

 「ブロック崩し」でスコア表示があったかどうかは印象に残っていなくても、「スペース・インベーダー」でスコア表示があったことを明確に記憶しているのは、このためです。



 「敵を撃つ」と「得点を稼ぐ」。「スペース・インベーダー」では、2種類の「成功」が用意されました。じつは、これは、とてつもなく革命的なことでした。タイムリミットのあるゲームの中で2種類の「成功」を存在させることは、とてつもないメリットをもたらしたのです。それは、その後のテレビゲームの基本形となりました。以降のテレビゲームの大半は、この構造をアレンジした亜流に過ぎないといってもいいほどです。

 さて。そのメリットとは、具体的には、どんなものだったのでしょう?


[この項、まだ後日に続きます]
posted by 野安 at 17:53| Comment(2) | TrackBack(5) | ハイスコア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月10日

ハイスコア表示は、なぜ消えたのか[その2]

 「ブロック崩し」には、得点表示はあったでしょうか?


 というクイズが成り立ってしまうくらい、リアルタイムで「ブロック崩し」をプレイしたいた人であっても、そこに得点表示があったかどうかの記憶は曖昧になっていると思われます。結論からいうと、得点表示はありました。画面上部に表示されています。しかし、多くの人にとって、あまり印象に残っていないことでしょう。そもそも「オレのハイスコアは128点だよ!」といった会話は、当時から、あまり聞いたことがありません。


 なぜ、スコアを気にしない人が多かったのでしょう?


 その理由は、きわめてシンプルです。
 「ブロック崩し」とは、「ブロックを消すこと=得点をとること」を目指すゲームではなかったからです。



 え? そんなわけないよ。これはブロックを消していくゲームじゃん! と思った人もいるでしょうが、それは大間違い。このゲームでもっとも大切なのは、「ボールの運動を止めないこと=ボールを打ち返すこと」です。「ブロックを消したけれど、打ち返すのをミスした」のと、「ブロックを消せなかったけど、打ち返すことには成功した」のを比較して、どちらをベターかを考えてみれば、答えは一目瞭然でしょう。

 どうしても信じられないという人は、いまから「ブロック崩し」をプレイしてみてください。2005年現在でも、ケータイなどで遊べると思います。ブロックを消した瞬間よりも、ボールを打ち返した瞬間のほうが、はるかに気持ちいいことに気づくでしょう。ちゃんと打ち返せると、「よっしゃ!」と、嬉しい気持ちになっていくはずです。

 もう一度いいます。「ブロック崩し」は、ボールを打ち返すことが楽しいゲームです。ボールを打ち返す瞬間のドキドキ感は記憶していても、スコアを稼いだかどうかの記憶が思い出せない(あるいは薄れている)のは、そのためなのですね。


「成功」に対して「ご褒美」を用意することで、プレイヤーを熱中させる。


 これが、いまなお脈々と受け継がれている、テレビゲームの基本構造です。じつは、この基本構造を成立させた初のゲームが「ブロック崩し」なのです。成功する(ミスしないでボールを打つ)と、ご褒美(より楽しい時間を継続する権利)が得られる、という形で登場しています。

 ゲームセンターに置かれるゲームとしては、これはきわめて正しい「ご褒美」でした。ゲームセンターでは、わたしたちは、先にお金を払っていました。だから「より楽しい時間を継続する権利」を得ることは、なによりのご褒美だったのですね。

 「成功する」たびに、「ご褒美」を獲得できる。それは、プレイヤーにとって「すごく気持ちいいこと」でした。そして、「すごく気持ちいいこと」が味わえる娯楽だったからこそ、「ブロック崩し」は大人気ゲームになりました。

 「ブロック崩し」以前のゲーム――たとえば1960年代に作られた「SPACE WAR」は時間制のゲームだったようです。1950年代の「TENNIS FOR TWO」や、その後継ゲームとなった「ピンポン」や「ポン」が、相手のミスによってポイントを獲得するゲームでした。これらの古典的なゲームと比較すると、「自分が成功した瞬間、ゲームのプレイ時間が延び、楽しい時間がより長く続く」というご褒美が用意されている「ブロック崩し」は、それまでとは違う快楽発生構造を持っていることがわかります。古典的なゲームがリメイクされることはなくても、いまなお「ブロック崩し」がリメイクされているのは、そのためです。

 
 さて。「ブロック崩し」以降、テレビゲームならではの快楽発生構造は、さらに発展・進化をしていくことになります。


 そこに登場したのが「スペース・インベーダー」です。この大ヒットゲームの中で「ハイスコア表示」というシステムが採用されたとき、ゲームの歴史が大きく変わりました。これによって、ゲームの快楽発生構造は、飛躍的な進化をみせることになるのです。


[この項、後日に続きます]
posted by 野安 at 15:58| Comment(3) | TrackBack(0) | ハイスコア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月09日

ハイスコア表示は、なぜ消えたのか[その1]

 ハイスコア表示は、昔のテレビゲームの基本フォーマットでした。


 それは自分の実力を示す記録でした。過去の自分のスコアを越えたときには喜びを感じることができました。その台に記録されていた「他の誰かが叩き出したハイスコアを抜くという喜び」を与えてくれることもありました。ときには「店の歴代ハイスコア」としてゲームセンターの壁に貼られることもありました。ハイスコア表示は、自分あるいは他人の、どちらが優れているかを示す指針として機能していたのです。


 しかし、だとするならば、ここで疑問が湧いてきます。


 ハイスコア表示が、「自分の記録を抜く」「他の誰かを越える」ことに喜びを与えるためのものだったのなら、いまなお広く生き残っていても、おかしくないような気がするのです。


 あらゆるスポーツ競技がそうであるように、人間は、記録の優劣を競い合うことに普遍的な喜びを感じてきました。世界中で、多くのアスリートたちは、いまなお記録を競い合っています。

 なのにテレビゲームにおいては、ハイスコア表示が、いつの間にか自然と消滅していきました。いまや、ハイスコア表示のあるゲームは、きわめて少なくなっているのです!


 これは、なぜなのでしょう?
 多くの人が、まったく「気にしていない」ことかもしれませんが、よく考えると不思議なんです。ちゃんと説明できる人は、きわめて少ないはずです。


 なので、今回は、この謎に挑むことにします。


 そのためには、じつはテレビゲームの歴史を紐解く必要があります。まずは、テレビゲームの原点である「ブレイクアウト(ブロック崩し)」について、考察してみましょう。記憶を辿って、思い出してみてください。


 テレビゲームの原点である「ブロック崩し」には、得点表示があったでしょうか?


[この項、後日に続く]
posted by 野安 at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ハイスコア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月08日

第2のテーマ

 次のテーマです。

 昔のテレビゲームの画面には、「スコア」が表示されていました。「スペースインベーダー」の時代からゲームセンターに通っていた人は、壁に張り出された「ハイスコア争い」の表などを見た記憶があるかもしれません。

 しかし、いつの間にか、スコアが表示されるゲームは少なくなりました。

 なぜでしょう?
 どうして、昔のゲームにはスコア表示があったのでしょう?
 昨今のゲームには、スコア表示がないものが多いのでしょう?

 今回は、これを探っていきます。
posted by 野安 at 13:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月05日

「アタリ・ショック」は本当にあったのか?[その4]

 アタリショックとは、市場の崩壊ではなかった。

 そこで起こっていたのは、その後のテレビゲーム・ビジネスで何度くり返された「新しいマシンとの競争」であり、その結果としての「旧マシンの敗北」だった。ATARI VCSは、海を越えてやってきたゲーム&ウォッチ(などのLSIゲーム)に勝てなかった。


 というのが、ここまで展開してきた仮説です。


 もっとも、ATARI VCSのソフト市場での粗製乱造は起こっていなかった、とは思っていません。データを調べるかぎり、「つまらないゲームが大量に登場していた」のは事実のようです。ただし、それは市場を崩壊させたのではなく、ライバル機との競争における致命的なマイナスになった、と考えている次第です。

 以前にも書きましたが、つまらないソフトが増えたくらいでは、市場は崩壊しないと思う。それは、あまりにもゲーム愛好者を馬鹿にした考え方ですよ。

 ゲーム愛好者は、「面白いソフトを探し出す嗅覚がない。目の前にあるソフトを買ってしまうだけの消費者だ。中身を吟味する才能もないに、買ったソフトがつまらなくいと激怒し、ゲームそのものに愛想を尽かすような人たちだ」とでもいうのでしょうか?


 そんなわけ、ないじゃないですか。


 1980年代前半、ATARI VCSは1400万〜1500万の普及を実現したマシンです。少なくとも1400万人のゲーム愛好者がいたのです。その全員が、ゲームを吟味する嗅覚を持ってなかったと考えるのは、いくらなんでも、ゲーム愛好者を馬鹿にしすぎています。

 しかも、その中にはヘビーユーザーもいたはずです。全体の1%として計算しても、10万人を超すヘビーユーザーがいたことになります。

 いつの時代も、ヘビーユーザーの嗅覚は、抜群に鋭いと思うのです。彼らは、優れた開発者が生み出す「より斬新なソフト」「より高度なソフト」「より魅力的なソフト」の匂いをかぎつけて、それらを堪能しようとし続ける人種だからです。たとえ粗製乱造が行われ、つまらないソフトが市場に増えてしまったとしても、その中から面白いソフトを探し出す能力があったと思う。そして、いいソフトさえあれば、市場は崩壊しないと思うのです。ゲーム&ウオッチに押されて縮小することはあっても、消えることはなかったはず。


 にもかかわらず、実際には、ATARI VCSの市場は衰退しました。
 

 なぜでしょう?
 答は、きっとシンプルなんです。


 つまらないソフトが増えた、と考えるからいけない。
 たぶん逆なんです。いいソフトが激減した、と考えればいい。



 ATARI社は、ハードメーカーであると同時に、ソフトメーカーでもありました。いまでいう任天堂のような会社です。優れたソフトを作ってきた実績もあります。それらのソフトを生み出す開発陣がいるのなら、たとえ粗製乱造の時代になっても、「いいソフト」を作れたはずです。いきなり全員がダメな開発者になり、いいソフトが作れるなくなる――という事態は、ちょっと考えにくい。

 しかし、どうやら親会社であるワーナー社の経営が駄目だったようですね。そのため、ATARIから優れた開発者が逃げ出していった。ハードの魅力を支えるのはソフトです。しかし、そのソフトを生み出す才能がいなくなってしまった。なるほど、これなら、嗅覚が鋭いヘビーユーザーですら、ATARI VCSの市場から離れていった、と考えてもおかしくはない。


 すると、新たな疑問が湧いてきます。


 優れた開発者たちは、どこにいったのでしょう? 全員が無職になったのでしょうか? ゲーム開発から足を洗ってしまったのでしょうか?

 ヘビーユーザーは、どこにいったのでしょう? ゲーム&ウォッチのような、ライトユーザーをひきつけるマシンはありました。しかし、より高度なゲームを求めるヘビーユーザーもいたはずです。彼らは、どこに移住していったのでしょう。


 両者の移住先は、パソコン(マイコン)だったのでは?


 日本ですら、1978年に「MZ-80K」というマイコンが登場。マイコンブームがスタートしています。1982年には、以降のスタンダードマシンとなる「PC-9801」が登場しています。アメリカでは、1981年に世界初のIBM-PCが登場。1983年の前後には、かなり安価なパソコンが、アメリカに登場していたようです。

 当時のパソコンゲームの世界は、ちょうど「何かが始まりそうな予感」に満ちた、いわば黎明期にあたります。ちょうど「ULTIMA」「WIZARDRY」「ROGUE」など、新時代の到来を告げソフトが、その輝かしい歴史をスタートさせた直後です。すでにテキストアドベンチャーも、その歴史をスタートさせています。当時のパソコンは、まさしく「家庭用ゲーム機などよりも高性能で、斬新なソフトが遊べるマシン」でした。


 ATARI VCSは、市場を縮小させた。
 ライトユーザーは、ゲーム&ウォッチへと流れた。
 そしてヘビーユーザーたちは、パソコンという新天地へと移住していった。



 そう考えても、まるで不思議ではなさそうです。事実、このあたりを機に、アメリカのパソコンゲーム市場は、どんどん元気になっていきます。定番RPGがシリーズを重ねていきます。ファミコンが家庭用ゲームの世界を席巻している間も、独自の進化を遂げ、いずれ巨大な市場となる土台を、着実に作っていきます。これを支えたのは、1980年前半に移住してきたヘビーユーザーだったのかもしれません。

 アタリショックは、アメリカのテレビゲーム市場に空白期間を作りました。しかし、だからこそ人材(ユーザーを含む)がパソコン市場に流れ、独自のゲーム文法を生み出していった――と考えることもできそうです。マイナス面ばかり強調されるアタリショックは、じつは、それは後のテレビケームの進化に影響を与えるような、大事な副産物を産み落としていた可能性があるのです。


 いずれ、このパソコンゲームの文化と、家庭用ゲーム機の文化が出会う瞬間が訪れ、ゲームはさらなる進化を見せることになるのですが、それはまた、別の機会に。


[この項、終わり]
posted by 野安 at 16:23| Comment(3) | TrackBack(1) | アタリショック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月04日

「アタリ・ショック」は本当にあったのか?[その3]

 日本であれアメリカであれ、現在であれ20年前であれ、ゲーム愛好者の行動パターンには、さほどの違いがあるとは思えません。


 面白いゲームがあれば、夢中になってプレイする。
 より面白いゲームがあれば、そっちのゲームに飛びついていく。



 いつの時代でも、ゲーム愛好者は、そんなシンプルに行動をとっていたと思うのです。わたしたちが、面白いゲームを求めているのと同じように、20年前のゲーム愛好者も、きっと面白いゲームを求めていたと思うのです。なぜなら、それがゲーム愛好者というものだからです。

 1980年代前半。ATARI VCSは、1400〜1500万台の普及を実現していました。つまり、少なくとも1400万人のゲーム愛好者がいたことになります。にもかかわらず、アタリショック以降、アメリカのテレビゲーム市場には1〜2年の空白期間があったといわれています。これって、ちょっとオカシイと思うのです。

 1400万人ものゲーム愛好者が、その空白期間に耐えられたとは、ちょっと考えられないですよ。そう考えるよりも、より面白いゲームに夢中になっていた! と考えるほうが、はるかに自然です。ゲーム愛好者というのは、そういう人種だからです。

 では、アタリショックがあったとされる1980年代半ば、ATARI VSCのライバルとなりそうな、強力なデジタル・エンタテインメント機は、あったのでしょうか?


 ありました。
 それは、とてつもない強力なライバルでした。



 それは日本で誕生しています。1983年に登場したファミコン――では、もちろんありません。ファミコンがアメリカに上陸するのは1985年のこと。直接輸入していたマニアもいたでしょうが、一般のゲーム愛好者が購入するようなものではありません。

 では、他に何があったのか? それは1980年に登場し、日本中に大ブームを巻き起こしたデジタル・エンタテインメント商品「ゲーム&ウォッチ」です。日本で登場するやいなや、瞬く間に子供たちの心をつかみ、空前の大ヒットを記録。次々に海外へと輸出されていった全世界的ヒット商品です。

 日本におけるゲーム&ウォッチの最盛期は1982年あたりでしょう。全機種(どころか、全ての類似のLSIゲーム)の中での最高傑作と評価される「ゲーム&ウォッチ ダブルスクリーン ドンキーコング」の発売年でもあります。1983年を境に、アメリカのテレビゲーム市場が衰退したことを考えると、そのタイミングはピタリと合致します。

 わたしたちは、つい「より性能の高いマシンが登場することで、以前のマシンが駆逐されていく」だと考えがちです。しかし、それは明白に間違っています。前日の文章にも書きました。1988年と1989年のミリオンセラーの推移のデータを観てみればいい。ファミコンという優れたゲーム機があっても、マシン性能が落ちる白黒画面の携帯ゲーム機が登場するやいなや、ゲームボーイが爆発的にヒットしているじゃないですか。


 性能の落ちるマシンが、性能の高いマシンよりも人気が出る。
 これは、なにひとつ不思議な現象ではない。
 なぜならゲーム愛好者は、単純に「より面白いゲーム」を求めているからです。



 じつは、日本でも似たような戦いが起きていました。ゲーム&ウォッチの歴史とは、テレビゲーム機の挑戦を受け続けた歴史でもあるのです。

 1980年代前半の日本には、いくつものテレビゲーム機(すでに10機種以上あったと思います)が発売されていました。しかし、どのゲーム機も、最盛期を迎えていたゲーム&ウォッチを追い落とせなかった。日常的にゲームセンターでテレビゲームに触れていて、テレビゲームに馴染んでいた子供たちも、家庭用テレビゲーム機ではなく、ゲーム&ウォッチを選んでいたのです。そのくらい、当時のゲーム&ウォッチの勢いは凄まじく、ゲーム愛好者にとって魅力的なマシンだったのです。

 そんなゲーム&ウォッチ(などのLSIゲーム)は、海外へも進出していました。日本では未発売のバージョンもあるなど、大きなムーブメントを作っていました。1980年前半のアメリカ市場で、それらがゲーム愛好者の心を奪っていったとしても、まったく不思議はありません。しかし、それらはテレビゲーム機ではないため、「テレビゲームの売り上げデータ」には記録されていない――と考えることが可能なのです。


 さて。ここに書いてきたことは、あくまでも仮説です。


 しかし、もし、この仮説が正しいとするならば。「アタリショック」という言葉の意味が、大きく変わります。 それは市場の崩壊を示す言葉ではなかったことになる。


 なぜなら、デジタル・エンタテインメント市場は崩壊しておらず、
 そこでは、単なるゲーム機の乗り換えが行われていたことになるからです。



 だとすると、ATARI社の失敗とは「市場を崩壊させてしまった」ことではなく、「LSIゲームに対抗できるだけの魅力あるコンテンツを作れなかったこと」ことになります。イマドキの言い方をすると、次世代機の登場により、旧世代機が没落していった、ということですね。


[この項、まだ後日に続きます]


posted by 野安 at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | アタリショック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月03日

「アタリショック」は本当にあったのか?[その2]

「ものすごく人気だったテレビゲーム機が、ハード・ソフトともに売れなくなった。なぜでしょう?」


 というクイズを、子供に出したとします。ちょっと気が利く子供なら、しばらく考えた後に、にっこりと笑い、こう答えると思います。「わかった! もっと凄い新マシンが発売されたからだね!」


 そうなんですよね。こう答えるのが当然なのです。つまり、わたしたちは、きっと難しく考えすぎている。ゲーム機(や対応ソフト)が売れなくなったのならば、真っ先に考えるべきは、「もっと面白いゲームが登場したのではないか?」という可能性であるべきです。

 プレイステーション2が発売されれば、初代プレイステーションの売上は、一気に下落しています。当然のことです。ここで初代プレイステーションの売り上げデータだけを抽出すると、あたかも「わずか1〜2年で、プレイステーション市場が崩壊した!」ように見えるでしょう。ゲーム市場が崩壊したわけではなく、むしろ元気になっているにもかかわらず、です。


 1983年あたりを機に、ATARI VCSは、ハード・ソフトともに、売り上げを急落させた。


 さて。これが、「アタリ・ショック」と呼ばれる現象で、いま判明している事実のすべてです。その理由として、「ソフトの粗製乱造により、ユーザーに愛想をつかされたのだ」という考え方が一般化していますが、それが正しいかどうかは不明なのです。それらは、批評家が後になってから考え出した理由付けに過ぎないかもしれないからですね。


 だとすると、この急激な売り上げの下落の理由は


 より魅力的なマシンが市場に登場した。
 ATARI VCSは、そのマシンとの競争に敗北した。



 と考えるほうが、理にかなっているはずです。だって、1400万人ものゲームファンが、一斉にゲームに飽きてしまった。そして空白期間ができた。しかし2〜3年後には、それ以上の人数がファミコンに夢中になったのだ! と考えるのは、むしろ無理があると思うのですが、どうでしょう?

 
 「それは違う。データを見れば一目瞭然だ。ATARI VSCが売れなくなっただけじゃなく、他のテレビゲームも売れなくなっているんだ! 本当に空白期間があったんだよ!」


 と主張する人もいるでしょう。たしかに、ATARI VCSが売れなくなったとき、かわりに他のテレビゲーム機(いくつか存在していたようです)が売れたというデータは残っていない。1985年にNES(北米版ファミコン)が発売されるまでの間、アメリカの家庭用テレビゲーム市場には、みごとなまでに空白期間があるのです。


 しかし、ちょっと待ってください。
 このデータ、本当に信頼できるものなのでしょうか?



 たとえば、こんな記事があったとしましょう。事前に念を押しておきますが、この文章は、正しいデータに基づいて書かれています。では、ちょっと読んでみてください。


 「1988年。日本のビデオゲーム市場は、『スーパーマリオブラザース3』『ドラゴンクエスト3』など、4本のミリオンセラーを輩出。この4本の売り上げだけで1000万本の売り上げを記録した。しかし、翌年の1989年、ミリオンセラーは『ファミコンジャンプ英雄列伝』の1本だけに激減。その売り上げも110万本ていどに過ぎず、つまり日本のビデオゲーム市場は、大幅な落ち込みを見せていたと考えるべきなのである」


 さて。上記の文章を、あなたは信じますか? どうにも信じられない、と感じる人の方が多いと思われます。とりわけ昔からゲームに親しんでいた人ほど、「あれ? そんなに売り上げが落ち込んだ時期なんて、あったっけ?」と、直感的に疑問を感じるでしょう。

 はい。あなたの直感は正しい。じつはこれ、文中に「ビデオゲーム」という言葉を使っていることからもわかるように、海外で言うところの「ビデオゲーム=据え置き機」の対応ソフトだけを対象にしてデータを抽出し、それを元に書いたみた文章なのですね。ゲームソフト全体でみると、1989年はゲームボーイの登場年であり、『テトリス』『スーパーマリオランド』など、携帯ゲーム機だけで4本のミリオンセラーがあり、その4本の合計だけで1000万本を突破。前年を越える豊作年だったのです。


 これからもわかるように、特定のカテゴリだけに目を向け、他のカテゴリを無視すると、いくらでも「現実とは乖離した、とんでもないデータ」が出ることは、よくあることなのです。


 ATARI VCSに話を戻しましょう。


 明快な真実としてわかっているのは、「1983年前後を機に、わずか1〜2年で、ATARI VCSというゲーム機と、その対応ソフトが、ほとんど売れなくなった」ということです。そして「ATARI VSCにとってかわるような、新しい家庭用ゲーム機は、まだアメリカに存在していない」というのも、どうやら事実のようです。


 だとすると、導かれる結論は、ひとつしかないと思うのですよ。あまりに盲点になっていたため、気づいていないだけなのです。もっとシンプルに考えればいい。もっとも納得のいく説明は、以下のようなものになるはずです。


 ATARI VCSは、ゲーム機以外のマシンに負けたのだ!


 そうです。ATARI VCSは「家庭用ゲーム機ではない、別のデジタル・エンタテインメントに市場を奪われた」と考えればいい。ゲーム愛好者たちは、そちらの新しい娯楽に飛びついた、と考えればいい。

 これならば、1400万人のゲーム愛好者は、かわることなくゲームを楽しみ続けたことになります。空白期間はなかったことになるのです。しかも、そのマシンは家庭用ゲーム機でなかったのだから、当時の家庭用ゲーム機市場の売り上げデータだけを見たとき、一気に市場が崩壊したように見える結果しか残らないのも、当然のこととなります。


 さて。この推論は正しい(あるいは、説得力がある)のでしょうか?


 それを判断するのはカンタンです。1983年前後に、家庭用ゲーム機ではないけれど、テレビゲームを愛好するユーザーたちの心をつかむような、「完全なる別マシン」があったかどうかを調べればいい。

 では次回、それを探ってみましょう。

[この項、後日へ続きます]
posted by 野安 at 14:04| Comment(2) | TrackBack(2) | アタリショック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月02日

「アタリ・ショック」は本当にあったのか[その1]

 1983年。全世界で1400万〜1500万台の普及を実現し、当時の家庭用テレビゲーム機の王者であったATARI VCSは、突然、ソフト・ハードともに大きく売り上げを下落させた。瞬く間にテレビゲーム市場全体の売上が急落し、市場そのものが崩壊。以降、1985年にNES(北米版ファミコン)が登場するまで、アメリカのゲーム市場には空白期間ができてしまった。


――これが、俗に言う「アタリ・ショック」の顛末です。


 実際のところは、1982年、ATARIの親会社であるワーナー社の経営戦略の失敗に起因するといわれていますが、そのような内部事情は、ここでは考えないことにしましょう。

 ここで問題としたいのは、この事例が、「ゲームソフトの粗製濫造」による「ユーザー離れ」が原因である、と説明されることが多いことについてです。

 不思議なことに、いまでも「アタリショック」という言葉は、「くそゲーが増えすぎると市場が崩壊する」という意味で、ゲームファンの間で認識されていますよね。


 だけど、この考え方は、どうにも納得できない


 冷静に考えてみましょう。
 「くそゲー」が増えたくらいで、ゲーム市場って崩壊しちゃうのですか?


 コンテンツビジネスって、そんな脆弱じゃないと思うのですが、いかがでしょう? つまらない本が増えたって、出版業界が崩壊したことはなありません。映画も、音楽も、同様です。一社が品質管理をしているわけではないけれど、それらのコンテンツ市場は崩壊していない。市場原理が働くことにより、駄作は自然と淘汰されていくからですね。市場が落ち込んだり、冷え込むことはあっても、一気に崩壊することは、そうそう起きることじゃない。

 ATARI VCSには1400万人のユーザーがいたのです。それだけの人数のゲームファンがいたということです。とすると、「面白いゲームがない」からといって、全員が一斉にゲームを買わなくなるとは、いくらなんでも信じられないのですよ。ゲームって、やや汚い言葉を使うならば、「中毒性がある」娯楽です。全員が一斉にゲームをやらなくなるなんてことは、ちょっとあり得ないと思うのですが、いかがでしょう?


 だから、常識を疑ってかかることにしましょう。


 このようなときは、原点に戻って考えてみるのが一番です。もし、わたしたちが、まだ「アタリショック」という言葉を、一度たりとも聞いたことがない状態だとします。「粗製濫造がゲーム市場を崩壊させる」という仮説も、もちろん聞いたことがない状態だとします。

 そのような仮定のもとで、1983年の出来事を、もう一度考察してみましょう。目の前にあるデータは、わずか1〜2年で、ATARI VCSというゲーム機と、その対応ソフトが、ほとんど売れなくなった」という事実だけです。

 この事実しか知らなかったと仮定するならば、わたしたちは、「ATARI VSCが売れなくなった理由は、どこにあるのか?」という問いに対して、どんな結論を出すでしょうか?


 これが、このBlogで取り扱う最初のテーマです。


 「粗製乱造による市場崩壊」という言葉に頼ることなく、「アタリショック」について、多くの人が納得する理由を、いっしょに探していきましょう。



[この項、さらに後日に続きます]
posted by 野安 at 16:30| Comment(1) | TrackBack(0) | アタリショック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月01日

ご挨拶

テレビゲームについて考えるとき、ときどき「腑に落ちないこと」に出会います。
もはや「常識として流布している」意見が、本当に正しいのかどうか、わからなくなることがあります。

疑問を疑問のまま放っておくのは、精神衛生上よろしくない。
なので、出てきた疑問に関して、書いていく場を作ろうと思った次第です。


第一回目のテーマは、「ファミコン以前」の話。


アタリショック」と呼ばれる現象は、本当にあったのでしょうか?


まずは、それを疑うところから、話を始めたいと思います。
といったところで、ここまでが、最初のご挨拶。
本題は、後日からスタートします。今後ともよろしく。
posted by 野安 at 23:58| Comment(1) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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